文机に向かうと、お京のペロリと出した舌を思い出した。洒落て書いても吾の本心ぞ。出だしから、そう思った。
先ずは己を何と記そうか、大槻玄沢、茂質、子煥、磐水と、名も諱も字も普段に使いもする名(号)も並べてみた。
考えるに、洒落が先に立つ。酔っぱらいか、これを手にした御仁に誤解されるか。否、良し、決まりだ。発刊元芝蘭堂は不識堂になる。
磐水は半分酔っ払い、半酔とするか。「半酔先醒著 、不識堂蔵版」で己の言いたいことを纏めてみよう。
当世の医者は商人か、単に生活の維持のための手段としてしか医業を考えず、謝礼の多寡だけを気にする。病人を抱える家は、優しければ丁寧な医者だ治療だと喜ぶ。だが、その医者が医を学ぶにも治療を良くするにもその精進、努力を後回しにしていないか。
金持ちとなれば日に二度も三度も往診し、貧乏人と分かれば体よく断る。あるいは弟子の往診で済ます。表向きは仁術の医道でも商人の心でどうする。
医者に言う。
一、脈をとるに念を入れて丁寧に診よ。
一、薬は患者にとって大事な物ぞ。軽々しく扱うな。
一、急病と知らせがあれば、早くに往診せよ。
一、応対が悪い、謝礼が少ないとて往診を怠るな。
一、己の知識、経験で対処できぬとあれば、早くに他の医者と相談せよ。
一、病気に合わない薬で治療を長引かすな。
一、軽々しく大層な病気だと言って、病家を驚かすな。
一、薬札(薬代)を貪るな。
一、持て囃される医者になっても、驕り高ぶりを持ってはならぬ。
患者に言う。
一、他人の噂を丸のみにして、確かなことも知らずに医者を選ぶな。
一、下手な医者と思ったら上手な医者に替えるがいい。医者と患者との間に信頼関係が無ければよい結果にはならない。
一、懇意にしている医者であっても時に断るを不義理と思うな。大事な命に人情を絡ませてはならぬ。
一、銭を惜しんで下手な医者に頼るな。銭を惜しむ者は病気が治らないとの戒めの言葉もある。
一、医者にも得て不得手の領域があるゆえ、治療の方法が妥当か如何か第三者に相談する、も良い。医者を確かめる努力もせよ。
一、 上手な医者ほど見識も高く、病人やその家族等周りの者の考え通りにはならぬ。
(右は大槻玄沢著「醒世諭言」、大槻如電の「磐水事略」から創作。
なお、「醒世諭言」は大正元年、大槻茂雄編「磐水存響・坤」の巻に収められてある)
墨痕も新しく書き終えたばかりの半紙を眺めながら、さてもこの後これをどうする、世に出しても良いか、明卿(宇田川玄随)にでも事前に意見を聞くかと思いが行った。
だけど、己の本心ぞ。狂歌に習って「半酔先醒著、不識堂蔵版」と表記しても、他人に意見を聞いて隠す必要が何処にある。
他人に見せて意見を聞かねばならぬならものなら書かぬ方が良い。以ての外だ。後ろにひっくり返って天井の節穴を見ながらに思った。明卿等に他に書き足す事はないかと問う方が良い。
ふと、先生がお言葉も思い出した。患者を選ぶな、病を抱えれば人は皆同じだ。声がかかれば何処にでも行く。金持ちであろうが貧乏人であろうが吾の足の丈夫なうちは駕籠も要らぬ、歩いて往診に行く。それを実践している先生だ。
(この当時の杉田玄白は他に類のないほど江戸市中に著名な医師で、御大名から大店の主人、歌舞伎役者などから往診を依頼されていた。五世団十郎(市川団十郎、寛政八年十一月引退)や、当時の尾上菊五郎なども患者だったと記録されている。
また、杉田玄白は数年に渡って大晦日になると己の一か年の稼ぎ高を記録している。その額は吉川弘文館の人物叢書、片桐一男著「杉田玄白」に詳しい。寛政十年当時、六十六歳になる杉田玄白の年間収入は一両十万円と換算して、凡そ六千万円)
[付記]昨日は、NHK杯GⅠレース。150万馬券の出現に驚きですね。100円でも当たれば良いのに、2着3着の馬しか買っていませんでした。これで、桜花賞、皐月賞、天皇賞と連敗です。今年これまでのプラスがマイナスが転じてしましました。
それでも、次はと考えるのですから、やっぱり止められない。己を守るには一日一回3000円まで、大レースのみ、これを改めて肝に銘じました。今年はこれまでプラスだったのが不思議です。
比べるにもならないのですが、ビル・ゲイツさんに大拍手ですね。先の生活にも困らないとはいえ、これまでに蓄積して来た財産凡そ29兆円をポンと社会のために、途上国等のためにと提供するのですから競馬の結果どころか驚きです。大拍手です。自分もそうなってみたかったと、見たこともない神様を思ったりもしています。
小説・大槻玄沢抄は、今、文化2年の秋です。長崎遊学から江戸に戻って来た倅・大槻玄幹、いとこ・大槻民治の報告をもとに執筆しています。文献調査にヒーヒー行ってます。でも、これが自分の生きている証拠と思いながら、こじらせた風邪に医者から貰って来た薬を飲んで頑張ってまーす。