七 医者は商人にあらず
十月も半ばを過ぎると江戸の街のそこここの寺や神社の木々も、また、目にする周りの小山も大分に色づき始めた。
色鮮やかな(吾の)田舎の里の紅葉と比べるほどにないが、それでも時の移りを教える落葉樹の色の変りは郷愁の思いを起こさせる。
銀杏の葉の黄金色に思わず見上げた。誰ぞの庭とも知らず、垣根越しに白や黄色の小菊を見た。十月桜(秋桜、コスモス)に季節の移りを思いながらに通り過ぎた。
浜町の先生が宅にお邪魔した。歯の具合とてその後如何なものかと心配にもなるが、先生の前で、人間、喰えなくなった終わりだ、と冗談にも言えなくなった。
「お元気に御座いましたか」
「うん、皆々に会っても居れば持病の事も忘れる。
凡そ十年も続いた病論会の開催をの、毎月八日を十一日と変更した。(鷧斎日録))
特別に理由があった分けではないが、持ち回りの開催にたまたま各々が十一日が良いと続いたでの、それで変えたのよ。
良く良くに考えたれば五、十は確かに借金の取り立てが多くての。それが一段落ついたれば病論会と言うことよ。
医者のご時世とか蘭学の世、西洋医学の世とか囃し立てて言う者も居るが、ハハハ、人の言うほど医者とて特別に入ってくる金が多いわけでは無い。
それはさておき、今にもっぱら寛政歴が施行されるとて話題になっておるの。
何時もの年と変わらず、十一月一日に出来たばかりの寛政暦が頒布されるとか聞く」
暦が事は先日に良沢先生にお聞きしている。天文方にある高橋(至時)殿からお聞きした、良沢先生が言っていたと口にしそうになったが、飲み込んだ。
それよりも、先生がさり気なくしたお言葉から近頃の医者の何たることかと考えた。医者の金もうけ主義との揶揄を先生もお耳にしている口ぶりだ。
家に戻ったら、一言、吾の思う所を記してみるか。
「歯の具合は相変わらずじゃ。
知っての通り、歯が痛み出すと何事も集中して出来ぬ。
痛み止めを己で調合してみているところよ。
また、目が霞むことも多くなっての、好きな絵もまた碌に描けんでは嫌にもなる。年は取りたくないものよのー」
「いえ、いえ、先生はまだまだ御若くして御座います。
先生のお年齢で、今も江戸の(街を)あちこちに往診している方とて他に御座いません。御大名、御侍様であろうと、御大人であろうと、また今日の口を拭うに如何せんと語る裏長屋の市民と雖も、お声がかかれば診療に出向くのですからただただ敬服するばかりで御座います。
往診できるは体の丈夫な証拠にも御座います」
「健康を維持するは医者の仕事のうちの一つじゃ。
そう思ってはいるがの・・・」
そこまでは良かった。だが、厳しい一言が返ってきた。
「如何じゃ、(解体新書の)改訂の方はどうなっておる?」
またまたの御催促に、来たか!、と思った。だが、今は胸を張ってお応えできる。
「はい、やっとに先が見えました。年明けには改めてそのご報告に参ります。
今や吾の仕事でもございますれば、念には念を入れて最後の点検、加筆修正に取り組んでいるところに御座います。
今しばらくお待ち下され。必ずにご報告申し上げます」
噓にはない。必ずにお届けできる。道々そう思いながら、近頃の医者の何たることか、と、その方に思いが行った。
表通りを掃き清めていたお富とお京に、ご苦労さんと声を掛けた。
「何度掃いても仕方ねゃ(仕方ない)。
この時期、落ち葉は後から後から続いて落ちて来んべ(来る)。
そう分がっていても、やっぱす家の前は綺麗な方がえがんべ(良いでしょう)。
(訪ね)来る皆さんもそう出す(綺麗な方が良いと思うだろう)。
使用人は何をすているど俺も思われだぐねゃ(ない)。
やっぱす、家の前は綺麗にすておかないど。
先生、綺麗になったべす?(なったでしょう?)」
「お京のおべんちゃら、聞くことありません。
先程まで日に何度掃けばよいのかと、私を前にしても愚痴たらたらだったのですよ」
お富の言うに頷きながら、お京の方も見た。相も変わらず、舌をぺろりと出した。
お茶を淹れて書斎に持ってくるようにと、お富さんに頼んだ。