十二 羽間重富の暮の挨拶

 久しぶりにお顔を拝見した。頭のてっぺんも着ている者も何処(どこ)ぞの家中の御侍様の姿に変わっている。

「お元気に御座いましたか。

 その後、(改暦の)作業は如何(いか)ほどに進まれましたか。順調で御座いますか?」

「はい。ご無沙汰しております。

 先程に蘭学者の方々の宴が有った、面白い趣向が有ったと吾の耳にも届いて御座いますが、何より火事騒ぎが大変だったでしょう。

 間もなくに迎える新しい年が大槻様や蘭学者の皆様にとって良き年にあらんとお祈り申し上げます。

 お陰様で吾らが作業の方も殊の外、順調に進んで御座います。

 今に大坂にある高橋殿からもそのような状況にあると、ご報告が御座いました」

「えっ。高橋殿は今は大坂?」

「はい。ここしばらく何の音沙汰もせずにいましたがゆえに、今日は(火事の)お見舞いと、沙汰無しのお詫び方々、暮のご挨拶に伺った次第です。

 これは少しばかりで御座いますが、お納めください」

 畳の上を滑らして紫の布佐に包まれた物を押し寄越す。明らかに金子だ。

「そのようなご気遣いはされずとも・・・」

「いえいえ、お見舞いも御座いますけれども、前野様にも大槻様にも何のお礼も無く翻訳の教えを頂いているところに御座いますればこの時ばかりはお納め下され。

 去る八月も始めに(八月五日)、御上(幕府)から正式に我等天文方に改暦の命が下ったところに御座います。

 ご存じでしょうか、この日本(ひのもと)の暦は天子様のお造りになった物とされております。

 京にある土御門家がその改暦にも当たると陰陽師の時の世から代々に受け継がれてきたものにございます」

浅学(せんがく)ながらそのように聞いておる。この江戸に()天台(・・)が造られたのは貞享年間(貞享二年。一六八五年)、凡そ百年も前とか。

 それが火事や何やらで転々として、今に浅草の天文(てんもん)(だい)(天明二年、一七八二年)、頒暦所(はんれきじょ)になったとか」

「はい。左様に御座います。

 御上からの改暦の(めい)とあっても、天子様の暦ゆえお許しを得んがために京に向かうは必定に御座います。

 高橋(至時)殿は天文方に属する吉田(よしだ)(ひで)(ます)殿、山路(やまじ)(さい)(すけ)徳風(とくふう)殿と共に九月に江戸を経ちました。今は京に在って天体観測、改暦の資料収集に精を出して御座います。

 吾には引き続きこの江戸(天文方の宿所は牛込袋町、天文台は浅草蔵前片町)に在って天文観測機器の製作、調整の任に当たれとご指示が御座いました。

 御上のご意向に逆らうことの出来ぬ物と承知もして御座いますれば、それに従うだけに御座います」

 造り笑いにも見える。何か不満があるらしいが、吾とて相槌を打てる訳もなく聞き入った。

「天文方は若年寄り様の支配下に御座います。

 宮仕えとは窮屈なもので御座いますな。

 京にも大阪にもはたまた江戸に在るも、天体の観測は一日とて欠くことは出来ま()ん。

寝所(ねるところ)も観測する場も同じに在らねば・・、御上はまずその理解が足りま()んな。

 吾らは今に、もっぱら天文台の方に寝起きして御座います。食事を摂るにも休むにも己の意思で動けるが一番と今更ながらに思う所に御座います。

 されど、あの高橋殿が京に使わされたを良しと思わねばなりません。

 高橋殿は去年(こぞ)の春に独り江戸に来て、秋(十月)に細君(・・)を亡くして御座います。(妻・志免(しめ)。享年、二十八歳)

奥方(・・)が亡くなられても帰郷できなかった、それを許されなかったのですから。残された御子(おこ)五人のこともさぞかし気になっても居たでしょう。

 凡そ一年半ぶりに帰って、それが亡き妻の墓前に手を合わすことにも、御子等の安否を確かめることにもなりましたな」

言いながらに、首を横に振る羽間殿だ。

「吾は勝手に、高橋殿の御子(おこ)五人の世話をせよと、吾が一族郎党に申し付けおいた所に御座います。

 高橋殿の一番上の子、(かげ)(やす)殿も、親に似て天体観測によう熱心でございます。

届いた状には、大阪も(おい)ひち(・・)(くら)のてっぺんに造った観測機で喜んで星を見てござるとありました。雨の日も大風の吹く日にもです。必ずに、(よし)(とき)殿の後を継ぎますー」

 羽間(はざま)殿は、一瞬、大坂に思いを寄せる顔をした。