「ハハハハハ、稲村殿、よくぞ言ってくれましたの。
何、評価は人のするもの。後の世の事は吾にも分からぬ。
今の世に蘭学が隆盛と雖も、英吉利の本の教えることも大事、仏蘭西の本の教えることも大事とあれば、英語、仏蘭西語が蘭語以上に必要になることも御座ろう。
また、今に国防がより必要と理解されるようになった北国、オロシヤの教えることも、オロシヤ語も重要になろう。あの通り、世界の地図に多くの国が有るのじゃ。
吾がこの出だしの凡例に、「社盟やら古きを温めて新玉の契り狂言は新志向、問答撰要こきまぜて和漢蘭のごとお江戸の栄」としたは今の世を語っておる。
まさに今が今の「近来繁栄蘭学曾我」よ」
「成程、成程。して和漢蘭もまたあの長崎の和華蘭(わからん)、和華蘭の吉雄塾(成秀館)、吉雄耕牛先生宅を意識されてお江戸の栄としましたか」
(長崎に)遊学したことのある稲村の言えることだ。
「長崎は江戸の今の蘭学栄の原点ぞ。
吉雄耕牛殿にも去年の夏に亡くなった本木(本木良永)殿にも、また天文、窮理に熱心だった若い志筑忠雄殿にも大変にお世話になった。今も感謝しておる。
吾が長崎に行ったは天明も五、六年のこと。その頃に若い若いと言っても志筑殿とて年齢を取って居る。吾より二つ、三つ年下じゃが、其方も長崎でお会いしたか?」
「いえ、成秀館、吉雄耕牛先生宅に出入りさせていただきましたけれども、志筑殿は存じあげません」
「倅(陽之助、後の大槻玄幹)はまだ十も一つ(十一歳)なればまだ早いが、いずれ長崎に行かせようと思っておる。
吉雄塾(成秀館)にも志筑殿にも学ばせようと思っておる」
長崎を知らぬ山村が二人の話に割って入った。
「先生、明卿殿、士業殿は良しとしても、法眼様(桂川甫周)が桂村不し向、玄白先生が杉田玄八、良沢先生が前野良助とは・・・。余興の出し物とはいえ予め大先生方にご了解を得ずば・・・」
「勿論、そのように心得ておる。
して、ここに今居る其方等に知恵を借りたい、
曾我物になぞって出てくる役を書き連ねておるが、蘭学に精を出している皆々を江戸市中や世に紹介したいとて付け足した役柄、登場人物も大分に有る。
役柄に吾が名を書き留めてあるはそれで良しとするか、否とするか、代案も聞かせて欲しい。苗字はそのまま故、役柄に充ててある誰が誰か分かりもしよう。
意見も代案も出して見よ。役柄の体を表すに滑稽な洒落言葉、綽名を大歓迎じゃ。
最後は吾が全て責任をもって決める。其方たちの思いを聞かせて欲しいのよ。
一番後に有る座元、都仁内は何と読む。「ミヤコニナイ」、ナイは無しじゃ。最後は何事も無しの洒落ぞ。
先にも話した通り宴に配布する余興なれば、遠慮せず、洒落言葉、綽名を一緒に考えて欲しいのじゃ」。