「お聞かせ頂いておりますれば、嬉しくもあり、有難いお話でも御座います。
貴殿と同様、先に大坂から来て天文方に属し、蘭語を学びたいと前野良沢先生を訪ねた御仁に高橋至時殿が居られるとお聞きしているが・・・」
「はい。左様に御座いますー。御存知で御座いますか?
高橋殿も吾も大坂は麻田剛立先生の下で天文学を学んできたところに御座います。
御上からは、先に麻田先生と高橋殿に天文方に出仕せよと命が有ったとお聞きしておりますー。
されど先生はご高齢を理由に(出仕を)お断りした。代わりに市井の一介の天文好きに過ぎない道楽者の吾を御上に推薦して下さった所に御座いますー。
吾の江戸下りが高橋殿に遅れたのはひちや(質屋)の今後の運営を如何せん、後を暫く誰に頼まんかとその段取りに手間暇がかかったがゆえに御座いますー。
御上には流行り病に罹ったゆえ体調がすぐれず江戸下りは少し遅れるとお伝えさせて頂きました。嘘も方便でんな。
また、出仕を命ずる趣旨が暦の改正にある、西洋の天文にかかる知識を参考にして宝暦の暦に代わる新しい暦を作れとの事ですから、これまで以上に和蘭語を学ばねば、蘭語を翻訳出来ねばと高橋殿と話し合ったところでございます。
宗吉殿に相談しました。彼が大槻様のところで学んだゆえ、高橋殿も吾も大槻様に学ぶは当たり前と思っていました。
しかし、彼が言うには、大槻様は杉田玄白先生の命を受けて今に解体新書の改訂に取り組んでおいでとか。あの分厚いターヘル・アナトミアなる原書を吾も目にする機会が御座いましたれば、大変な作業にあると想像がつきます。
そこに(芝蘭堂の)塾生も抱えてあれば、翻訳の労も教えを乞うもままならないだろうとの事でした。
宗吉殿は、大槻様の蘭語の先生、お年齢は召しているけれども今に蘭学者と言われる方々の殆どは前野良沢先生に学んだ。前野様は当代随一の蘭学の先生だと、大槻様ご自身が自慢するお方だと教えて呉れはった。
蘭学階梯に載る和蘭語の例文が前野様の和蘭訳筌から多くに引用されているとお聞きして、高橋殿が先に前野良沢先生に弟子入りのお許しを願った所に御座います。
吾は高橋殿のお荷物にならないようにと、その心して彼の学びに付いていこうと覚悟しても御座います。
大坂を発つに、小石様に江戸に行くとお伝えしました。大槻様にくれぐれも宜しく言って下されとお言伝を承っても御座います。」
聞きながらに、大坂も天文観測機器を前にして語る羽間殿と小石殿と橋本宗吉殿の姿が頭に浮かんだ。
「ところで、大槻様は、伊能忠敬という御仁を御存知ですか?」
「いや、聞かぬ名だが。何か・・・」
「はい。伊能殿の先の奥方は仙台が藩医、桑原隆朝殿の娘子(桑原信。二代目・桑原隆朝の娘)とお聞きしました」
「えっ。同じ(仙台藩が)藩医なれば、桑原殿は存じ上げておるが・・・」
咄嗟に思った。桑原家は亡くなられた工藤様の奥方(工藤遊様)の実家だ。
「伊能殿は今、無給ながら天文方に出入りして吾らを手伝っております。
下総国の佐原(現、千葉県香取市)の出とお聞きしております。
その地で名主をしていたほどのお方なれば一国の藩医にござる方の娘子を妻にするとて何の驚きもしまへん。
されど、隠居して代を長男に譲り、二人の妻を亡くし、今に御年五十(歳)にして天文を学びたいと高橋(至時)殿に弟子入り志願したのです。
高橋殿は、白髪の混じる頭を見ながら、その年齢でこれから天文を学は無理、出来ないと再三お断りしたところです」