七 羽間重富の訪問、天文方
七月も半ばになる。今朝から良い天気だ。今日はどれ程までに暑くなるのかと思わないでもない。東北育ちの吾は今もってこの時期の江戸の暑さに慣れぬ。
「先生、ハザマ様という方がお見えです。見慣れぬ方に御座いますが如何いたしましょう」
「ハザマ?、何処から来たと?」
「さあ・・それは・・お聞きしませんでしたが、ご存じ無い方に御座いますか?。
天文方の・・とお話して御座いますが・・」
「何?天文方だと」
「はい。その様に・・・」
「上がってもらうが良い。
丁重に座敷の方に案内するが良い。お茶を忘れるでないぞ」
お富の後ろ姿を見送って少しばかり慌てた。
この部屋に招くわけでもないのに机の上の物を片付けた。間違いなく、大坂も羽間重富殿に御座ろう。
一介の商人に有りながら、己が大坂屋敷に私費を投じて天文観測の機器を備え置いた方だと、先生(杉田玄白)から情報をお聞きしてもいる。
襖を開けると、このまま吾が床の間を背に(上座に)座って良いものかと思いもしたが、羽間殿は小銀杏のままの頭だ(町人姿)。お富になんの指示もしておらねば萱の褥(座布団)は何時もの席だ。
羽間殿は座った左横に風呂敷包みを置いている。
床の間を背に座ることにした。湯飲みは吾の分も座る席の前に既に置かれてある。
「初めてにお会いさせてもらいますー。
大阪は長堀富田屋町にてひちや(質屋)の商売をさせてもろてます羽間重富に御座いますー」
吾の腰が落ち着いたとみるや、途端に羽間殿の大阪弁だ。
「大槻玄沢に御座います。
貴殿が江戸に来られると耳にしては御座いましたが、道中、ご無事でしたか」
「はい。ご心配、有難う御座います。
此度、御上の呼び出しがございまして、先月(六月)も半ばに江戸に下っておりますー。今に天文方(浅草蔵前片町)に厄介になって御座います。
早くに大槻様にご挨拶に伺わねばと思っていながら、何やかやでとうとう月を超えてしまいました。
申し訳なく存じております。
その節、橋本宗吉が大変にお世話になりました」
慣れぬ江戸言葉で話そうとしてか、季節が文月(七月)ともあってか、そこまで言うと羽間殿は懐からの手ぬぐいで額の汗をぬぐった。
「小石先生も橋本殿も、お元気にして御座るか?」
「はい。よう頑張っておいでですー。
小石様は今に京(京都)と大阪を行ったり来たりに御まん(御座います)が、
小石様も吾も西洋の書を片手に宗吉殿を訪ねることが多くに御座いますー。
諸国から訪ね来る者とて多く、宗吉殿は今や大阪では蘭語の大先生ですさかい。
彼の教えは医学医術にエレキテルなるもの、天文、地理、窮理、生活の日々の事どもにまで及び、小石様も吾も想像していた以上の彼の活躍に真に生きた銭になったと喜んでおりますー。
宗吉殿は今も大槻様の蘭学階梯を多くに参考とさせていただいておりますー。
教えて頂きたいと訪ね来る者に、まずは蘭学階梯、蘭学佩觿の筆写をさせていると聞いておりますー。
そのうえで学びたいものは何か、医学医術なのかエレキテルなのか、天文なのかはたまた地理か窮理か等と問い、それからに惜しげもなく己が整理した和蘭語と翻訳した日本の言葉集とも言うのでしょうか、それを筆写させておりますー。
彼の所に人が集まる、人気になる理由の一つに御座いましょう。
大坂、京都、その周りに蘭語を広めるは今や橋本宗吉殿を置いて他に御座いません」
確かに大坂で兼葭堂(木村兼葭堂)に聞きもした「すー、すー、すー」だが、京都弁も有るのだろう、江戸言葉も混じり何が何だかと心で可笑しみを堪えた。羽間殿のお人の良さが感じられる。