「そんなご丁寧なお言葉・・・、勿体なきに御座います。
大槻様は大切なお客様でございます。
はい。お陰様で元気でもあれば、商売の方も順調に御座います。
されど吾にはもっと気楽にお話し下され。
今でも仲間内に、大槻様が長崎に行く途中、大阪まで御一緒させて頂いた、お供したと話すだけで驚かれます。羨ましくも思われます。
薬種を売る身とて、良いように大槻様のお名をお出しして商売が上手く行くことが多くに御座います。
申し訳ございません」
「いや、それで商売が上手くいくなら少しばかりは恩返しが出来ているかと思いも致します」
「本〈本当〉にお久し振りになりますけど、お元気そうで何よりです。
お出しになった蘭学階梯を拝見して吃驚もしましたけど、もう、あれから六、七年にもなりましょう。
そして此度は「蘭学佩觿」とやら。
今や、蘭語、翻訳と言えば大槻様。翻訳家として大槻様の話題は仲間内に尽きません。
医療だけでなく、地理や天文、測量、絵図に生活の有り様までも和蘭、阿蘭陀、オランダの言葉が堂々と世に聞かれるほどになりましたからね。
大きな声で言えませんけれども奢侈の禁止、倹約、倹約はどこ吹く風。
あの天明の頃の大飢饉からの反動でしょうか。白河侯には悪う御座いますが、侯が表舞台から退いて世の中が少し明るくなってきたと思っていたら一気に市中に活気が戻って来たように感じます。
仲間内から伝え聞いたところによれば、大槻様は、今度はオロシヤ語を翻訳なさるとか、真でございますか?」
「いや、それは・・・、何処でそのようなこと・・・」
「はい。大槻様があのオロシヤから帰って来た大黒屋光太夫からオロシヤ語を学んだ。今度はオロシヤ語の翻訳だ、オロシヤを通じて世界が知れる、オロシヤの薬も品々もこの江戸に入って来るとの噂に御座います。
ご存じですか?、その光太夫殿が江戸市中を歩いている。
ご婦人方の飾り小物を扱う商売をしている鶴屋の一人娘と祝言を上げるともっぱらの噂に御座います。
花婿四十五歳。花嫁は御年十八歳だとお聞きしております。親子ほども年齢が離れていると、それもまた話題です」
聞きながらに、光太夫殿の顔を思い出しもした。驚きながらも、一方の磯吉はどうしたのだろうと思いもする。
藤七殿の話が続いた。
「最初は分かりませんでしたけど、江戸市中を光太夫殿と磯吉殿が歩いている。
皆々が言うように、お侍様にあらずして頭巾頭は余計に目立ちます。
磯吉とか言うお方はちょくちょく頭巾をお取りになって江戸市中を歩いているとお聞きします。
長身の上になかなかに良い顔をしておいでとかで花嫁候補は多く居るとか」
お茶を貰って余計に無駄話をさせてしまったかもしれない。だけどそれで吾にかかる世の中の噂を聞くことも出来た。
白髪が余計目立つようになってきた藤七殿だが、商売が順調と語り、悪くもない吾の噂を聞きもすれば何となく嬉しくも思う。
「話は変わりますが、大槻様は相撲が大好きでしたな。
年明け早々に、俺が国さの横綱谷風、御自慢の谷風がお亡くなりになったのですから、さぞ、がっかりなさったでしょう」
「春場所を前に急に死んだとて伊達のお殿様以下、藩士の方々も吾もただただ驚きよ。今も信じられぬ。
(当時のお殿様は第八代仙台藩主、伊達斉村。伊達重村は寛政二年、次男、斉村に家督を譲って隠居している)
お国(仙台)とて、その遺体が国許に届くや仙台市中がてんやわんやの大騒ぎだったと聞いておる」
「そもそも、お亡くなりになった元は何でございますか?」
「流行り病と聞く。風邪をこじらせたらしい。
あの大きな鍛えられた身体でさえ命を奪われる。流行り病の大元が何なのか、未だ分からん。
西洋の「虫目がね」と言う物で目にも見えない小さなものを見ることが出来るが、その見えた物の中に何ぞや身体に悪い物があるのか、流行り病の下になるものが潜んでいるのか、見えた物に驚きもしているが、理解が及ばぬ。
明卿等仲間内で話をしてもいるが分らん。
(後藤梨春が明和二年〈一七六五年〉に発刊した「紅毛談」の中で「顕微鏡」を初めて日本に紹介している。以来、蘭学者等の中で「虫眼鏡」と呼んでいた)