二 蘭学佩觿
遅くになったけど、先生が宅を訪問した。もうすぐに如月(二月)にも成る。
「先生は達者か?」
「はい。今年に数え六十(歳)も半になりますが、相変わらず元気にしております。
今年もまた家族ともども宜しくにお願い致します」
「何を言う。それを先に言うは吾ぞ。
先生が達者なことは何よりじゃ。
家の事も色々にあっての、先生に顔を見せなければと思いながらついつい日を過ごしてしまった」
「昔と違います。大槻様もご立派な一家の主人。
芝蘭堂の御主人でもありますれば、己一人の考えや都合だけで行動も出来ますまい。
新年のご挨拶に訪れる方とて多くございましょう。
その応対だけでも大変なことと、想像がつきます」
「遅くにもなって新年の手土産と言うも何だが。再刊なった「六物新誌」と、新たに発刊したばかりの「蘭学佩觿」を持参した。
先生にお納め下されば幸いじゃ」
「参りましょう。
大槻様が来たと、それだけ伝えるだけでお義父上はお喜びになります」
部屋の前で、廊下に膝を折るは書生の頃と変わらぬ。
「大槻様に御座います。入っても宜しゅうございますか?」
士業とて、立膝で襖を開けるは書生の時と同じだ。
入ると、先ずは遅まきながらの新年のご挨拶を申し上げた。
開口一番に語る。
「(蘭学事始めの)序文を読ませて貰ったよ。感謝しておる。
残るは後に倅(伯元)が書くこと(付言)だけよ。発刊を今から楽しみにしておる」
「はい、きっと先生が塾(天真楼)にても、吾が芝蘭堂でも必ずに役立つ物になります。また、先生の御名も、建部清庵由正の名も半永久に残すことにもなりましょう。
嬉しい限りに御座います」
言葉にせず。微笑みながら顎を引く先生だ。
「今日は、新刊なった蘭学佩觿を持参して御座います。
世に蘭学階梯を出して蘭語を学ぶための初歩、手ほどきとしましたが、
その蘭学階梯さえも初学の者には理解しがたいと言われることとて少なくのう御座いました。
ならばと、蘭語をもっと分かり易く、蘭語の勉学が続くようにとそれを語る書として発刊した物に御座います。
以前に紹介した弟子の吉川良祐の手を借りております。
先生には今更な事と承知しておりますが、ご覧いただければ幸いに御座います」
手にして暫く見ていた先生は、それからに士業(伯元)殿に手渡した。
「さすがに玄沢様です。
(天文、地理等々)各界が蘭語の理解、翻訳を必要としておりますれば、この書もまた人材の育成に、国の裨益(助け)になることで御座います」
目にした士業殿の感想だ。その士業殿の評価の後に、先生のお言葉が続いた。
「少しばかりの酒と肴で新年の祝いにも、新書の祝いにもしよう」
[付記]:蘭学佩觿はまさに「おいうえお・・・」の現代ローマ字表記である。五十音、濁音、半濁音にしてABCDを並べ、書き表し方等を示している。天真楼や芝蘭堂に入門して来る者等に使われたと思われる。
寛政七年一月に、大槻玄沢・吉川良祐編著で発刊され、その後、度々再刊されている。なお、吉川良祐は陸奥国一関藩に属し、大槻玄沢の門人姓名簿に載る門下生である。
(参考図ー早稲田大学図書館所蔵の蘭学佩觽の一部)





