開けた襖越しに佐野の姿が見えた。吾に目で合図を送ってきた。
床の間を背に、隣り合わせでお座りいただいていた先生と良沢先生の方に回った。
「お駕籠の御用意が出来ました。間もなくに散会になります。
此度は、御身足をお運びいただき有難う御座いました」
「ご苦労じゃったの。
吾には活躍する皆の顔を一堂に会して見るはそうそうに無いでの。このような席も良い物じゃ。
平助(工藤平助)の蝦夷対策を聞くばかりでなく、オロシヤ語に殊更に興味も湧いたぞ」
「お褒め頂き、有難う御座います」
さすがに蘭花先生だ。じっと目にしていた半紙を懐にした。オロシヤの文字に大いに関心が行ったのだろう。来てよかったよ、とそっと言った。
吾の知り得たオロシヤ語千五百について筆写の便宜を図らねばなるまい。
「安岡がこと、上手くいったぞ。
八曽も安岡も了解してくれた。時を見て祝言じゃ」
笑みのこぼれる先生のお顔を見た。士業殿にまだ聞いてもいなかったことだから少しばかり驚きもしたが、納得もする。
吾は、参会いただいた皆様に謝辞を述べ、大事なことを告げた。
「今日は、ご参会頂きまして誠に有難う御座いました。
皆様それぞれに、意見交換も親睦も出来たかと思います。
また、限られたお時間でもございましたが、オロシヤの政治文化の一端を聞くことが出来たのは何よりでございました。
ご参加いただいた法眼様を通じ、吾が大黒屋光太夫殿に教えて頂いたオロシヤ語は千五百にも上ります。
関心のあるお方は、吾が芝蘭堂にて今後に学ぶことも出来ようかと思っております。
今日のこの「蘭学会の宴」は今年限りのことに御座いません。来年も、また再来年にも引き続き開催を予定して御座います。
吾国で言う所の冬至の日に十二日を足した日が西洋の新年、元旦に当たります。
その日が今後の蘭学会の開催日と御記憶に留め置かれますようお願い致します。
今や、蘭語の活用、翻訳は、吾国の医療医術から段々に天文、地理、測量、経済、文化等々多くの分野に広がり、その発展に寄与しております。
ご参会いただきました皆様が、関わりあるそれぞれの立場にて今後一層御活躍できますよう祈念させていいただきますとともに、今後とも、多くの方々の御参加をお待ちしております」
(「新元会」の呼称は、子息(次男)の大槻磐渓によるものである。参考図はこの章の・24に掲載済み。
それ以前は絵図の市川邕(岳山)の賛にある通り「芝蘭堂会盟之宴」とよばれていた。また、その同じ賛に、冬至の日に十二日を足した日が西洋の元旦とある。)
先生と良沢先生、法眼様の御駕籠を参会者皆が見送りするような形になった。
それからに、皆々様が三々五々に帰宅の途に就いた。
佐野や妻と、お富、お京、お通さんに、末吉までもが最後までお見送りに立った。
がらんとした座敷に残ったは明卿と士業殿と山村(才助)に稲村(三泊)、佐野だ。莎葉に改めて酒とつまみを頼んだ。
山村に稲村、佐野が居るとても隠す必要もあるまい。今に居ずとも安岡も塾生の一人だ。安岡と机を並べることもある三人だ。
士業殿に安岡がことを改めてお聞きした。先生のおっしゃっている通りだった。山村等三人は安岡と八曽様の縁組をお聞きして驚いた顔をした。
明卿は言葉にせず頷いている。
[付記]:明日からは「大槻玄沢抄 第十六章 寛政7年・〇」になります。引き続きお読みいただければ幸いです