「見えました。来ました。大黒屋光太夫殿の御駕篭です」

 迎えに出て待っていた佐野(佐野立見)の声が大きい。吾も末吉も少しばかり慌てて表に飛び出した。

 駕篭から降り立った光太夫殿の姿に驚いた。胸前にボタンの付いたオロシヤの衣服にズボンで身を包み、広い(つば)のあるオロシヤの黒い帽子、革製の深靴ではないか。しかも、見たことも無い刀を左の手にしている。

 お殿様の引見の前に、小袖も羽織も帯も、また足袋も草履も御上が手配した呉服屋にて揃えて頂いたとお聞きしてもいたれば、お()でになるときは吾らと同じ姿形(なり)と思っていた。

 参加が決まって法眼殿に同伴して住居(すまい)を尋ねた時にも、そのような格好で来られたいと要望していない。むしろ、日本に帰って二年にもなるのに、そのような申し出は失礼に当たるとさえ思ったのだ。

「御待ちしておりました。ようこそ芝蘭堂(京橋水谷町)へ。

 先日には有難うございました。快くお引き受け下さり誠に感謝しております。

 皆様お待ちかねにございます。

 狭い家なれど、ご案内致します」

 お京もお富も初めて見る異国の姿形(なり)に、また、脱がれた革製の深靴にも目を()いている。興奮状態の佐野が吾より先に行く。

その佐野が襖を開けて到着を告げた。

「お見えになりました。皆様、大黒屋光太夫殿にございます」

 部屋を覗くと、皆の顔も目も一斉に光太夫殿に注がれた。法眼様を除けば、いずれも驚いた顔をしている。皆様には想定外の事だったろう。

 予定していた通り、光太夫殿には椅子に座って頂くことにした。

「窮屈にはござらぬか、大丈夫にございますか?」

「大丈夫、十分な御配慮、有難うございます」

 腰の低い物言いだ。

 皆の目が自分に注がれていると知ってか、光太夫殿は着席する前に、皆様に向かって黙って一礼した。

 明卿も、参加を初めて知る(けん)(さい)(岡田甫説)も白羽(はくう)(稲村三伯)等も、参加を先に知っている士業殿さえもさすがに光太夫殿のオロシヤ服等のいでたちに驚いた顔だ。

 参会者皆々様の顔を見て、吾から彼を紹介した。

「御公儀の御用もございますれば何かと御多忙を極める幕府奥医師、法眼様のお計らいでご覧のとおり、今日はオロシヤのあちこちを凡そ十年、見聞してきた大黒屋光太夫殿にお越し頂きました。

 事はとうに江戸市中に知れてもございますれば皆様知っての事と存じますが、光太夫殿は凡そ二年前にオロシヤから帰国し、今に番町の御薬園(おやくえん)内にお住まいでございます。

 折角の機会にございますので、宴の前に、オロシヤにかかる医療医学、庶民の生活、政治、経済等々、お聞きしたいこと、教えていただきたいことを順次皆様からご質問いただきたいと存じます。

 そこで、まずは皆々様から先に、(おのれ)ご自身のご紹介をしていただきたく存じます」

 誰にも異論はない。吾から、それから光太夫殿の目の前に座って居た森島中(もりしまちゅう)(りょう)殿から時計周りに自己紹介に立った。途中、鷧斎先生(杉田玄白)も蘭花先生(前野良沢)も列に居ると思慮して、座ったままにて結構です、お座りになったまま自己紹介していただければ、と声を掛けた。

 質問は、オロシヤでは医者は何というのか、市民のための養生所はあるか、病の多くは何かなど医学医療の事が大半であったけれども、やはり漂流して大変だったのは何か、オロシヤの生活で驚いたのは何かと漂流生活に関する質問も多くあった。

 医者は「レーカリ,」と言う。養生所というよりも各地域に誰もが利用できる病院、「ゴ―スピタリ」という物が有った、薬を呉れるところに「アピチエッカリ」と言うものがあったと語るを、誰も頷いて聞いていた。

 その質問が一段落した後に、光太夫殿自らが話し出した。オロシヤは北も極限に位置するとて防寒を怠ったら腐って鼻が落ちる、耳が凍り付く。手足を切断しなければならなくなる、実際にそれで仲間の一人が足を切断したとの説明に、皆々が、おーっと驚きの声を上げた。

 また、事情があって産み育てることが出来ない赤ん坊のために育ての親となる制度や、孤児を預かる施設(孤児院)が有るとの説明に、日本(ひのもと)でもそのような制度があればという意見が多く出た。堕胎(だたい)や間引きを行う日本の世の今を憂う話がしきりとなった。

 オロシヤの本土に上陸して凡そ一万里、帝都ペテルブルグにおいてエカテリーナ女王に拝謁したと言う段にも驚きの声が上がった。

 帰国の許可が下りて根室(ネモロ)に帰るまで、オロシヤで要した海路陸路凡その往復に二万五千里と聞いて、皆、なおのこと吃驚(びっくり)だ。

(参考図ー早稲田大学図書館所蔵、芝蘭堂「新元会図」、国の重要文化財)

 

[付記]:早稲田大学図書館所蔵の芝蘭堂「新元会図」ですが、同館の御了解のもとに多少加工しています。小生の小説の中では「蘭学会の宴」と書かせて頂きました。

 一般に新元会図、オランダ正月の絵図として紹介されることが多いのですが、「新元会」の表示は明治時代になって大槻玄沢の次男、大槻磐渓が作った新造語です。

 それを知って、ここでは「蘭学会の宴」と表することにしました。絵図の中に、初めて開くこの会を何故に開くか、また参加者に掛かる規定を明示した「蘭学会盟引」を掲げているからです。読者の皆様にご理解を賜りたいと存じます。