「お茶をもう一杯飲むか、さすがにこの時期、日が暮れるのが早いの?、酒にするか?」
「酒が良い。だけど、その前に、もう一つは何だ?」
「阿蘭陀、蘭学者の新年会よ。それを相談したくての」
「蘭学者の新年会?」
「うん。西洋の新年を祝う会じゃ。
吾等は疾うに我が国の新年は西洋の定める一年の始まりよりも凡そに一月遅れていると知っていよう。
吾等の住む地球が惑星の一つで太陽の周りをまわっているのだと知り、西洋の教える天体の有様の方が正しいとも思っていよう。暦の見直しも必要だと知っておろう。
されど、暦は天子様と御上の管理するところ。見直しが必要と分かっていてもその改正、変更がされるは容易なことではない。
吾等が先に西洋の教えを受け入れずんば(暦の)見直しも出来まい。既成の事実をそっと、そっと作り進めることも必要と思っての。
蘭学者の会、宴と呼んで、この江戸に住み、医者に限らず蘭学を旨として受け入れている者同士で蘭人と同じく新年を祝う会の宴にしようと思っておる。
それが御禁制のキリスト(教)の言う新年の日に当たると言えど、阿蘭陀医学等に携わる者同士の意見交換会と、いざという時に言い逃れも出来よう。
「うーん。されど異国の謂れ、慣習を出さずとも奢侈の禁止、倹約令を引き合いに出されて吾等の身が一網打尽にならないか。
集まった皆にえらい迷惑をかけるでの」
五尺にも満たない背丈に痩せぎすの明卿が、片手を横に振りながら一層身を縮めた。
「二年前に、オロシヤから帰って来た漂流民のことを聞いておろう」
「あの大黒屋光太夫と磯吉とか言う者のことか?、
お殿様が引見した。法眼様が「漂民御覧之記」として纏め将軍様に献上したと聞いたな、瓦版でしか知らんが・・の・・・」
「そう、そう、その光太夫達がことよ。
その会に参加して貰おうと計画しておる」
「なおのこと、御上に咎められる一因ともなろう」
「否、否、そうならぬよう今に画策しておる。
法眼様はお殿様引見学後も光太夫等が住まいに訪ねて聞き取り調査をしていた。
実は、吾も法眼様のお計らいで二人が住まいに訪ねて居った。千五百にもなるオロシヤ語の収録、発言の方法等を教えて貰いにの・・・。
そのことはさておき、注目すべきは光太夫等二人にかかるお裁きよ。漂流して異国に在ったればこの日本に戻って来てもこれまでは罪人扱いであった。
じゃが、此度は、みだりにオロシヤのことを他人に話してはならぬと注文が付いたものの、また、住まいが御薬園の中と限定されたものの、実は二人は無罪放免も同じじゃ。今に江戸の町も歩いておる。
阿蘭陀の地理や風習、産物、器具、医療医薬などを書いて、横文字が使われているとて牢に入れられた明和の頃と御上の考えも大きく変わっている。
(明和二年(一七六五年、凡そ三十年前)、後藤梨春が「紅毛談」を発刊し、その中に阿蘭陀の文字が度々に出てくると咎められ投獄されたことを指す)
蘭学者の会、宴に客人として二人を招くは見世物にはあらず。体験して来たお二人からオロシヤの医学、医療、政治、経済、天文、地理、生活習慣等を知るは、吾らが和蘭以外にも世界を知る、もう一つの国を知る良い機会なのじゃ」
「それは分かるが・・・。して玄沢が考え、法眼様はご存じか?」
「勿論。吾の考えを話し、賛成頂いたところじゃ。
それどころか、法眼様ご自身がお二人の参加の段取りを計ってくれておる」
「えっ、真に?。それが其方の言う画策か。ならば、何も言うまい」
「吾が遊学した長崎でも既に西洋の新年を祝う会をしておった。
じゃが、出島を抱える長崎と雖もあからさまにそうとは言えず、工夫されておった。
日本で言うところの新年(旧暦の新年)を迎えるに当たってその前から祝い事をする。その長く続く祝い事の一日が、実は・・・としていた。
いつか蘭花先生(前野良沢)が、自分が長崎に遊学した時のことを話した。長崎の新年の祝い事は延々と続くと言っておった。
驚いたと言っておったが、長崎に行って、吾も現地に行って理解できたことよ。
もっとも、吉雄(耕牛)先生は吾が遊学しておった時に堂々と、今日は西洋の元旦、新年に当たる日と口にして祝いの卓を設けておった。
それもまた、感心したことよ」
「入らせていただきます。酒のご相伴になるものとてお持ちしました」
莎葉の言葉に話がまた中断した。
「熱燗に、ジャガイモ、ニンジン、ゴボウ、豆腐、丸蒟蒻の煮っころがしでございます」
湯気の立つ小皿が二つだ。
「奥方、身重なのにお世話をお掛けして申し訳ない」
「お口にあいますでしょうか。
寒くもあれば、身の温まるものをと思いまして・・・」
「忝い、忝い。このような物を食べられるが幸せというもの。のう、玄沢」
「田舎(一関)におった時は、よくこういう物を口にした。
何処に住もうと、どのような身にあろうと、食べる物に困らぬは幸せという物じゃ。贅沢は出来ぬがの」
「もう一杯、行こうか」