十四 明卿(宇田川玄随)に確認した三つの事
今朝に、寒い寒いと思いながらに書斎の雨戸をあけると霜が降りていた。霜月とはよくぞ言ったものだと変な所で感心もする。
小さな庭ゆえか、片隅に植えてある南天の実が余計に目立つ。その赤い実が、福をなす、幸せを呼ぶのだと昨日にお京に教わったばかりだ。
朝飯と昼飯とも分からずに、大分にお腹のふくらみが目立ち始めた莎葉の炊事を受ける。
「午後に、明卿が来るかもしれぬ。
酒の肴になるものでも用意してくれまいか」
「お見えになるは何時頃にございますか?」
「分らぬ。来てくれるかどうかもまだ分からぬ」
「夜の皆のお相伴(オカズ)にもなるものでも御用意しましょう。
さすれば、御出でになっても成らずとも後に好都合に御座います」
使用人もいる一家の妻の知恵だろう。吾の懐具合とて助かる話だ。
今日に、お茶でも飲みに来ないかと再度の使いを出した。使いを出せば、何時もの通りに飛んで来てくれると思っていたが、(西説)内科撰要を出してからというもの今は忙しい身にあるのだろう。
どうしても彼の意見を聞く必要もある。また、和蘭医事問答にかかる序文が士業殿の手に渡る前に自分もまた確認しておきたい。吾の書く序文と似たり寄ったりでは困りもする。
もう一つ、彼も驚くだろう、蘭学者の会の開催について相談したいこともあるのだ。
「明卿様は追ってここに来るそうです。
先に返って、そう伝えよ。先のお誘いを反古にしたは申し分けなかったと伝えよと、御言伝に御座いました」
それだけ聞けば十分だ。末吉にご苦労様と声を掛けた。
明卿が顔を出したのはそれから四半時(約三十分)ほどしてからだった。昼八つ(午後二時)も過ぎだ。
「急に寒くなったな。先日には、御免、御免」
「いや。構わぬ。本(西説内科撰要)を出して忙しくなったか」
妻(莎葉)のお茶をお持ちしたとの声に、話が中断した。
「部屋を暖めておいてくれたの。丁度良い」
「はい、寒ければ炭を足しもします」
「いや、いや、十分に御座る。奥方はお腹が大きいか?」
「うん、年が明けた四月には子が出来よう」
「それは良かった。玄沢に二人目が出来るか。男か、女子か」
「どちらでもよい。元気にあればの」
「そうよ、そうよ。目出度いことじゃ」
「祝いの言葉はまだ早い。おギャーと言ってからじゃ」
口にして、ハッとした。お腹の子は目出度くも、先に赤子を失ってもいるのだ。下がってよいと、(莎葉の)顔を見ずに言った。
襖が閉められるのを待った。話を基に戻した。
「(本の)評判は如何じゃ。売れてもいるか?」
「いや、それほどにはない。
専門誌でもあれば市民には関心が無かろうと分かり切っていたことだが・・、
(医者)仲間うちからお褒めの言葉も頂いても一銭にもならぬ。それを知ったよ」
「ハハハ、吾が蘭学階梯を世に出した初めの時と同じじゃな。
出版して(天明八年)、版元から直ぐにも評判になりますよ、塾生が来ますよ、入門希望者が大槻様の所に殺到しますよと言われてその気になったが、塾生希望者は翌寛政元年に四人来ただけ。
(寛政)二年、三年に入門したいと来る者は居なかった。
ハハハ、阿蘭陀(語)の教える、ゼロという言葉を初めてちゃかして使ったよ」