「はい。(法眼様から)お話があった後、明卿(宇田川玄随)共々に玄白先生に相談しました。
ご理解を頂き一度は先生の所の寄宿舎の方に入ったのでございますが、今には先生が所の書生になって先生と同じ屋根の下に御座います。
ご承知のように、彼の夜も惜しまぬ勉強ぶりに先生ご自身が感心していると士業殿からお聞きしております。
先生はあの通り多くの洋書をお持ちで。
安岡は安岡で吾が塾に顔を出した折に、宝の蔵を見つけたと言うのですから彼の勉強ぶりが想像できます。
吾の所でも先生が宅でも熱心に蘭学を学んでおります。ご心配は要りません」
「そうか。それは良かった。
ま、今日の日も良しとして、後には吾の引き続きの仕事じゃな。
もうひと踏ん張りじゃ。間もなくに編集し纏め終える。お殿様に献上できようというものじゃ。
のう、佐助。番町通いも暫くに無くなる。ご苦労じゃったの」
「とんでもございません。お言葉、有難う御座います。
また、思いもしない美味しい料理に美味い酒でございました。
酒は浦霞と言いましたか。覚えおきます」
後を継いで吾が応えた。
「浦霞ぞ。その名の由来は鎌倉時代、源実朝(源頼朝の次男。鎌倉幕府第三代征夷大将軍「鎌倉殿」)が詠んだ和歌にある。
塩釜の浦の松風霞むなり 八十島かけて春や立つらむ、と知る。
合わせて覚え置かれよ」
「吾に和歌は難しくて。
はい。塩釜、酒、浦霞、源実朝とだけ覚えさせて貰います」
光太夫殿が家を後にしたときはまだ周りは薄明るかったけど、佐助殿の差し出す提灯が役目を果たし出した。
夏の夜も宵五つ(午後八時)は過ぎたろう。
酒が入っても法眼様の歩みはしっかりとしている。
吾が家の戸口に至ると、前と同じに別れの挨拶を交わし、お二人の姿が角を曲がって見えなくなるまでお見送りした。
十一 西洋の新年会開催の発案
秋の長雨か。されどこの秋は騒ぐほどの雨になければ、田舎からの便りにも今年は豊作とあった。
そんなことを思いながら歩を進めた。傘をさし高下駄なのに踝の辺りまで雨に濡れるのも困りものだ。
久しぶりに先生宅を訪ねた。
お待ちしておりました、お待ちかねです、という書生の言葉を聞きながらに足元を見た。値の張る高下駄が先にある。
「何方か、来られていると?」
「はい、法眼様にございます」
「桂川殿か?」
法眼は桂川甫周様と分かり切っているのに聞き返した。
お会いするのはあの番町の御薬園での宴以来だ。
「はい。先程、お乗りになって来たお駕籠の方は一度お引き取りになりました。
半刻(約一時間)したら迎えに来るが良いと申しておりました」
迎えてくれた書生が安岡ではないのが少しばかり残念だ。
彼が、吾が来たと廊下に座って内に声を掛けた。
入られよ、と先生に代わって士業殿の声だ。
開けられた座敷の中は以前にも見た位置取りだ。床の間を間にして、奥に法眼様、目の前に先生と士業殿の背中だ。
吾を確認した士業殿が、立って部屋の片隅にあった座布団を持ってきて吾のために先生の左隣に敷くも以前と同じだ。
「今、法眼殿に、大黒屋光太夫等から聞きとったオロシヤの事どもをまとめ、将軍様に献上したとお聞きしたばかりだ。
何ぞ、聞いておくことがあるかの?」
[付記]:私ごとですが結婚して50年。半世紀を連れ添って呉れた妻と共に実に久しぶりに、いえ、妻とは結婚前のデートの時
以来ですから50年振り以上に、新宿にある寄席「末廣亭」に行ってきました。
久しぶりに聞く、見る芸に小生と妻の感想です。出番が後に成るほどに間の取り方が上手いね、声が後ろの席まで通るね。だけど、残念なのは五列目の真ん中に席を選んだ自分達でさえ本題に入る前の「ふり」の話が良くに聞こえなかった。
歳も取って自分の耳が遠くなったことも事実ですけれど、年季の入った芸達者な皆さんの「ふりの話し」を聞くのも楽しみの一つです。歴史を感じさせるマイク一つで作られた舞台に自然に顔の綻んだ小生ですが、小話の導入部になる「ふり話し」が聞こえないのがいかにも残念です。その少しばかりの時間だけでもピンマイクを活用されたら如何でしょうか。
風情の残る末廣亭の小屋も、独特の江戸文字で張り出された落語家等の皆さんの御名の看板を見ながら、後に、居酒屋で妻と一致した意見でした。
帰りにビックカメラに寄ると言い出した妻です。ポンコツになって碌に言うことを聞かなくなったファックス付きの電話機を買い替えると、予定外の出費でした。年金生活の身に有れば大黒柱もよれよれ、いろいろと考えがいくもので・・・。