「はい。年齢(とし)が大分に違っても(司馬江漢が十歳年上)同僚であり、先輩であることに今も変わり御座いません。

 良沢先生の所で蘭語を共に学んできた同僚でもございますれば、あの腐食絵図の作り方(エッチング)について共に試しもした先輩と今も思ってございます。

(エッチングの方法については大槻玄沢が蘭語を訳し、司馬江漢と共に試したと伝わっている)

 されど、彼が跋文を書いてくれた吾の「和蘭鏡」を「蘭学階梯」と改めて発刊するに当たって、跋文を記す人を変えたのが気に食わなかったらしく彼との間に溝が出来ております。

 変えた理由(わけ)については丁寧に説明したつもりに御座いますけれども・・」

「(変更した)理由は何と?」

「正直に申しました。

 出版には金がかかる故、その費用を出してくれる方々に序文、跋文を改めてお願いしたと・・」

「それで、江漢は・・・」

「はい、似非(えせ)市民め・・、其方は庶民の味方だと言いながら(かね)のあるやつに尻尾(しっぽ)を振る、所詮(しょせん)、自分もまた武士の出であると自慢しておる。

 吾みたいな市井(しせい)の出と違うと自慢しておる、似非庶民め、と口を極めております。

 吾が姿を見ればそっぽを向くようにもなり、今も疎遠になっております。

(吾は)申し訳ないと思いながらも、何ぞ縁を切る程のことと思ってはおりませんが・・・。

 あの発刊の折に一番申し訳ないと思ったは蘭花先生(前野良沢)がことに御座います。序文もまた、先生から朽木候等に変えておりますれば・・・」

「それであのように、蘭学階梯に詳しく良沢先生を紹介したか・・」

「はい。先生は了解し、むしろ、参考とする文例に吾の短文をもっと使え、蘭学階梯に吾の和蘭訳筌から文例をもっと使え、読む者の理解し易いようにしろと励ましてもくれました。

 今でもこの江戸に、蘭語については蘭花先生が一番と尊敬しております」

「そうか、そうだな。

 解体新書にかかる翻訳に当たって吾等仲間が芝の蘭堂に度々通いもしたでの。

今の世に蘭学の世が来れば、良沢先生はさぞに嬉しかろう。

 江漢も市民の間に何時(いつ)にか評判になるものを一つ持てば気も変わろう」

「はい、吾も、見栄を張りたがるあの虚言癖、他人(ひと)(けな)(くせ)は、何か一つ評判になるものを得れば変わるものと思っても御座います」

「亡くなった師匠(鈴木晴信、浮世絵師)の名を借りて(世に)絵を出すなど自信が持てないのであろう。

 気長に構えて接してやるが良い。そのうち和解も理解もしよう」

「はい」

「安岡は如何した。元気にしておるか」