「来たか。急に呼び出して悪かったの」
「いえ、何の。大黒屋光太夫殿達が事に御座いますか?、
首を長くにしてお待ちして御座いました」
「うん。吾とて早くに其方に伝えねばと思いもしていたが、なかなかに隙が出来ぬでの。
一日だけのことじゃが、やっとに暇のお許しを得た。
これから申す光太夫達がことは、いずれ何処ぞから瓦版屋にさえも伝わることと思いもする。
だけど、それまでは他言無用にな」
「はい。心得てもございます」
「うむ。そのことの前に安岡(安岡玄真)の事じゃがの・・・、
其方の所で面倒を見て呉れぬか?。
吾の大仕事と言えば、其方も知る通りお殿様とその周りの方々の健康維持、病の治療にある。
それが多忙な上に此度のような事もある。
吾の翻訳の助けになる、安岡の蘭学修行の身にも良い、そう思って彼の身を預かったものの彼に教える暇とても無く、彼とても
話が違うと思っても居よう。
其方の所に熱心に通っているようだし、そのまま彼を抱えてはくれぬかの」
「はい、分かりました。その様に考えましょう」
そう答えたものの、思ってもいなかった話に驚きだ。咄嗟にどうしたものかと思いもしたが、もともと吾の方から(嶺先生がお亡くなりになった後)法眼様に安岡の寄宿を頼んだのだ。帰ったらば、安岡の今後の有り様を考えねばなるまい。
「三日ばかり前になるの、七月一日じゃ。光太夫と磯吉は同心に伴われ駕篭に乗って南町奉行所に出頭した。
その駕籠は貴人も乗る駕籠じゃったそうだ。
お奉行、池田長恵殿が出座し、幕府の決定の申渡しだった。
与力が申渡し書を読み上げた。先ずは出身地や身分等に続いて光太夫四十四歳、磯吉二十九歳と名と年齢を読み上げ、次にお裁きの内容が伝えられたと聞く。
その内容を光太夫に確認して驚きもした。
幾多の困難に遭いながらそれに耐えて帰国したは「奇特成志」と、御上の評価があったそうだ。
異国に行って日本に戻ってきた漂流の民は罪人扱いだったからの、それまでとは大違いじゃ。
そして、何と光太夫に金三十枚、磯吉に金二十枚を下賜したそうじゃ。
聞いたときには吾とて驚いたよ。前例の無いことだからの。
昨日に光太夫達に会ってきたが、光太夫は、思いもしていなかった御上の温情に深々と頭を下げ、聞きながら苦しかったこと、乗組員一人一人の顔が頭に浮かんでお奉行様の前とは言え泣かずにはいられなかったと語った。
少し間があって、続きを告げられたと言う。光太夫が語るには、
一つ、漂流民は帰還すると故郷へ戻す習いであるが、二人は江戸に留まるようにせよ。
宿所は番町の御薬園内にある住居とする。
一つ、月々の生活費は光太夫に金三両、磯吉に二両を支給する。
一つ、両人とも妻帯を許す。薬園内に住むとは言え、植物の世話など一切しなくてよい。
一つ、赤人の国(オロシヤ)の様子を、みだりに他人に話してはならぬ。
とあったそうだ。
その日のうちに二人は雉子橋(門外)の厩舎空屋敷を引き払い引越したのだと言う。
昨日に会った時に光太夫は言っておった。お裁きを聞いて、帰国できただけでも十分なこと、仰せの通りで生活が成る、異論はないと。
だが、それを聞きながらに若い磯吉は、田舎に帰れないと不満を言った。
途端に光太夫は涙を流しおった。吾がどうしたと聞くと、オロシヤに残してきた庄蔵、新蔵のことを口にした。
彼等だって日本に帰りたかった、故郷に帰りたかったのだと口を押え、突然に肩を震わした。
堪え切れずに目の前で大泣きしだした。
何時もの冷静沈着な光太夫ではなかった。彼は、吾が船頭なればと言って口を噤んだ。後に何を言いたかったのかの・・、聞けなんだ。
船を預かった船頭として未だに責任を感じているのだろう。
お殿様の引見の後も凡そ半年、吾はあの(空き)屋敷に度々に通っておったからの、庄蔵のことも新蔵のことも前に聞いてもおったから吾もその場で貰い泣きした。
磯吉も泣きだした・・・」
法眼様は言いながらにその場を思い出したのだろう、声を詰まらせた。
「お二人の身がそうと分かれば、祝いの酒でも持って御祝いの席を設けなければなりません。また、改めてお礼にも行かねばなりません。
番町の御薬園に吾もまたお伺いできましようか?」
「それは良いことじゃ。勿論ぞ。近じかに一緒に参ろう」
「酒と魚は吾が準備させていただきます。
届けるに、何ぞ予めお許しが必要でもございましょうか」
「あの雉子橋(門外)の時と同じように、番町の方に移ってもそうと知って物陰から屋敷を窺う者が早くもいるそうだ。
吾が今度番町の方に行った折、二人に日時を計りもすれば、お奉行所の方に行く日時と、持ち込むものも言いもする。
其方の考える酒も御料理も後に吾に知らせるが良い。
穏便なお裁きと雖も、飲食する物の届とあればさすがに奉行所の毒見も、検査も必要じゃろうからの。
また門番にもそれらのことを告げて置く必要とてあろう」