六 妻、莎葉の妊娠
いよいよ今日にはお裁きが出る。吾が事のようにも思え昨夜は眠れなかった。
お二人はもう雉子橋の(厩舎の)空屋敷を出ただろうか。
四年ぶりに見も話しもした、見送りもしたカピタン達どころではない。凡そ二か月前まで度々にお世話になった光太夫殿、磯吉殿お二人に思いが行く。
今日の夕にも空屋敷に駆けつけてもみたいが、吾の連絡を待つが良いと長崎屋でお会いした時に法眼様に釘を刺されている。
仮に罪人となれば、屋敷に帰ることなく牢屋入りだと悪い予測も頭をもたげる。
いや、幕府とて最早悪いようにはせぬ、出来ぬ。世の中が、世界がそうに動いている。光太夫達が所に訪問した最後の日の帰り道に語った法眼様のお言葉を信じる。
ただ、法眼様の連絡がお裁きのある今日なのか、明日になるのか、はたまたもっと後になるのか、それが分らぬ。
七月一日が大黒屋光太夫達に対するお裁きの日ぞ、長崎屋でそうと教えて呉れもしたこととても秘中の秘であったろう。
気も落ち着かぬが書斎に入るか。待つしかあるまい。気を取り直して莎葉にお茶を頼むと告げた。
「はい。先程から何やら落ち着かぬ様子に御座いますが、何か御座いましたか?」
話せば長くも成ろう、雉子橋傍の厩舎空屋敷に通っていることは既に話している。また、やっとにオロシヤ語を写し終えたことも聞かせている。だが、今日に光太夫達にお裁きが下るとは言っていない。
「いや、特には何もない。ただ、筆写し終えたオロシヤ語の整理に戸惑っても居る。
其方こそ何ぞあったか?」
立ったままに、何か言いたそうな妻だ。
「はい、ややこが出来て居ります」
「何?、子が出来たと?」
「はい、まだ二月、三月とか」
「誰ぞ、そう言った?」
「お近くの産婆様に診て貰ってに御座います」
「診て貰ったと?・・。
ハハハハ、まだ分からぬ。女子は月の物が無くとも二月や三月遅れることもあるでの」
そう言いながら、吾は医者ぞと思いもした。何故に吾の診立てを伺わぬと、思わず文句を言いそうにもなった。
されど、莎葉には莎葉の考えもあるだろう、責める口を閉じた。
「そうあれば嬉しい。そうあって欲しい」
「はい。きっとに御座います。今度こそ、あなた様の期待に応えまする」
「そうとなれば、なおのこと身体を大切にせねばの、
もう少ししてはっきりとせば、お富にもお京にも伝えよ。
お通さんは子育てもしておれば、大いに教えて貰うこととてあろう」
「はい、その様に」
久しぶりに莎葉の笑顔を見た気がする。真かどうか分からぬも吾の顔も綻んだ。
七 大黒屋光太夫、磯吉のお裁き
二日経っても法眼様から何の連絡もない。
こうなると、空屋敷に出向いてみるか、門番に光太夫殿達は在宅かと聞くだけでも良いかと思いもする。
朝餉はしっかりと食べた。身体だけが吾の資本だ。大分に整理したオロシヤ語を改めて勉強もせねばとも思う。
法眼様の小者が顔を出したとお京が告げる。玄関口に急いだ。
「お殿様の言伝に御座います。
支障なければこれからに来られよ、本宅に居る。
今日は出かける用事が無い、との事に御座います」