イ オロシヤ語の筆写

 疲れた。いや、吾が疲れたと言うはおこがましきことか。法眼様はお役目の上に光太夫殿、磯吉殿に聞き取り、学び、書き写しているのだ、今日一日のことで()を上げるは情けない。

「オロシヤの文字は三十一文字。欧羅(よーろっ)()諸国の文字と各々小異あり。

 されどその用法は大抵に同じ。幾つかの字を連綿して一語を成し、初めて一義をなす」

 光太夫殿の口からその一言(ひとこと)を聞いただけで吾は唖然とした。

 確かに文字の大方は阿蘭陀語と似ておる。横文字に綴り、同じ用法だ。

(参考図:オロシヤ三十一文字)

 光太夫殿はオロシヤ文字にカナをふり、読み方を示していた。

彼が、日本(ひのもと)の文字の読み書きが出来たことが何よりも幸いしていたといえよう。

 後は、ただただ彼の声を聴きながらに引き写すだけで半日が過ぎた。

五十の語も移し終えたか。

「腹も空いた、何を食べましょうや、寒ければ鍋物でも作りましょう」

 磯吉殿が炊事場に立ったのには驚きもした。御馳走になるなど思ってもいなかった。

そういえば、初めて訪ねるとて厩舎屋敷に居る(とき)(時間)を余り考えもしていなかった。にぎり飯(おにぎり(・・・・))でも持参せよと予め法眼殿の声があればと思いもした。

 吾の驚く顔を知った磯吉殿は、幾日も船に乗る水手(かこ)は大抵炊事が出来ますと言った。

あの遭難した神昌丸の(ふね)親父(おやじ)、(船中書式賄方、三五郎、磯吉の父)や、一緒に帰国した小市(荷物賄方、帰国後の寛政五年春、根室にて死亡)に色々と仕込まれたと語った。

 

 帰り際に、法眼殿が言うとおりに吾もまた持参した書道具一式を預かって貰うことにした。それは、今後にも訪問を許して貰えることを意味する。お二人も当たり前のような顔をしていた。

 法眼殿も教える光太夫殿等らも(ろく)に休まず宵五つ(午後八時)まで机に向かった。

それにはお驚きもしたが、帰りの時を区切ったは各町の木戸の通りを考えてのことだった。また、吾の所に言伝(ことづて)に来た法眼様が所の小者が、お殿様(・・・)(法眼)を迎えに来る時刻と知った。

 その小者の持つ提灯の家紋を見て驚きもした。何と、葵の紋ではないか。

「家紋が葵でございますが・・・、お殿様(将軍)の御許しが出たと?」

「ハハハハ、そうでは無い。桂川は京都の出だと昔に話したの」

「はい。その様に覚えてございます」

「うん。それでだ、葵は京の加茂神社の(しん)(もん)だ。

 加茂神社の祭礼には今も葵の若葉が使用されておる。

 神社に所縁(ゆかり)のある家々は同様に葵の紋の使用を許されているのだ。

 桂川家も加茂神社に所縁(ゆかり)があるでの」

 サラリとしたお顔で語る法眼殿を改めて見直しもした。

吾の顔をみた小者が黙ってお辞儀をした。

 今日に書き写し、手にしたものは墨(墨痕)が乾くのを待って懐に入れた。まだ百の語を写し終えたばかりに過ぎない。このままであれば後に十日ほど以上にも通うことになるか。

 毎日は来れないがと思案した。また、もう一つの風呂敷が必要だったと反省もした。

この時刻、表に出れば闇が身を包む。まさに頼りは月明かりと提灯のみだ。冬の寒さも足元から襲ってくる。法眼殿が言う。

「吾に関係なくここに訪ね来るが良い。

 あの通り、門番とて其方の顔を知ったろう。

 されど、吾に説明し、其方にも説明するでは光太夫殿に余計に世話を掛ける。

 それ故、訪ねるは出来る限りに一緒の方が良かろう。

 前もって其方に使いの者を立てる。其方(そなた)は時を選べぬが、同行の出来る出来ないを小者に遠慮せず申し伝えよ」

「はい。おっしゃるはごもっとも。ご配慮、有難うございます。

 来る日は法眼()の日時に合わせまする。

 どうしても都合のつかないときはそれもまたご連絡申し上げます。

 今日とて、光太夫殿のオロシヤ語の記録を初に見させていただいて驚きました。

(オロシヤ語に)日本(ひのもと)の読み、カナを振り、その意味するところを書き残しておりますれば、

 仮に御同行できなかったとしても、説明を得られずとも、一人次に行った日にただただ必死にその分を、オロシヤ語を筆写させ 

 ていただきます」

「ここで知り得たことは何事も他言無用と心せよ」

「はい、その様に。しかと心得まする。

 事情を知らぬ者が尾ひれをつけて余計な噂をすることもございますれば、吾が(ちょう)(帳面)にも今日の日のありし事すらも記録は 

 控えまする」