黙ってお聞きした。
「吾が初めて厩舎の空屋敷に行った時、吾があの将軍様の引見の場の書き役だったと言うと、光太夫は吾の顔を覚えておった。
だが、桂川甫周だと名乗ると、光太夫も磯吉も驚いておった。
お殿様のお許しを得た。時を見て度々に訪ねる、オロシヤの事どもをまだまだにお聞かせ願いたいと訪問の趣旨を伝えると、 光太夫も磯吉も即座に、時間の許す限り来て下されと吾の手を握った。
驚きもしたけど、生活に不自由はござらぬが親しく語る相手が居ないと言う。二人は軟禁生活だったからの、納得もした。
相手方の出した手を握ることも、肩を抱くこともオロシヤの普段の挨拶の仕方だと教えられた。
親しければその上にお互いに頬ずりをする、男同士といえども口を相手の頬や口に付けるのだと言う。それは遠慮したがの。
二人から聞いてオロシヤの諸々を纏めること、それがこれからの世のため人のためになる、国の裨益になる。(平賀)源内先生や工藤(平助)殿等の教え、思いに応えることにも成る。そう思うと毎日にも厩舎屋敷に通いたくもなった。
いや、聞いておるに教えて貰っておるに、終いには一緒に住みこんで一言一句書き留たくもなったよ。
遭難し生き延びた先々で何があったか、体験したか、オロシヤの人物、風俗等にエカテリーナ女帝にお会いできた経緯等をこれまでに聞き、書き記した。それだけでもかなりの量になる。整理するにも溜息交じりぞ。
いよいよに言語の多くを教えてもらう。それで其方に声を掛けたのじゃ。
光太夫が書き留めていたオロシヤ語は実に千五百にもなると聞いておる。それを知ることこそこれからの翻訳にも、オロシヤとの外交にも大いに役立つ。
オロシヤの語の文字は、凡そに和蘭語(ABCDの)と同じだ。それで言葉を作っている。綴りも発音も違ってはいるが、その文字の綴りを見て、時には何を言わんとしているものか、蘭語と照らし合わせて見当のつくものもある。
まだまだこれからが本番じゃ。ま、着いてから聞く、教わる、楽しみじゃ」
向かう先は神田の町も西の端になろうか、日本橋川の上流になる、北の丸に近い。先頃まで御上の馬を預かり管理してい鶴見七左衛門が空き屋敷なのだと説明する。その法眼様の足は健脚だ。
棒を持った見張り番の方が吾等の姿を見て、先にお辞儀をした。
「此方は、仙台藩々医、大槻玄沢殿じゃ。以後、一人で度々に訪問することもある」
それだけで通用門を潜り抜けることが出来た。
予め伝えてあったのだろう。光太夫殿も磯吉殿も驚いた顔もせず吾を迎えてくれた。
お二人からそれぞれに右手を出され握手を求められた。思わず驚きもしたが、そうか、異人の挨拶のやり方だと思い出して納得した。
「誰ぞ、水でもお茶でも用意してくれる者とて居ませんので・・」
そう言いながら、寒かればとお茶を用意したと、淹れてくれた光太夫殿だ。
「改めてご挨拶申し上げます。大黒屋光太夫に御座います」
「磯吉に御座います」
「仙台藩、藩医、大槻玄沢に御座います。今は京橋も水谷町にて、傍ら芝蘭堂と言う和蘭語の塾を開いております。
法眼様の御配慮によりお伺いさせていただきましたれば、宜しくお願いいたします」
二コリとして顎を引いた光太夫殿だ。法眼様に向かって言う。
「今日からはお約束通りオロシヤ語、言語で宜しゅうございますか?」
「うむ。頼む。これは卵ぞ。持参した。食べるがよい」
吾に委ねなかった小さな風呂敷包みの中が、それで分かった。
「何時も何かとご配慮して頂き有難う御座います。
御遠慮なく頂戴つかまつります」
そう言うと、隣の部屋から文机が二つも目の前に運び込まれたのに驚いた。磯吉殿も手伝っている。法眼殿が頷き、言う。
「吾の分だけでなく、二つも用意してくれましたか。恐れ入ります」
「何の、前にもお話したとおり訪れる人も無ければ、
お二人とお話しできることこそ吾等の楽しみでござる。
六畳一間に文机を並べ、大人四人とあれば狭くも感じますが我慢してくだされ。磯吉と計ってご用意させていただきました」
「何の、構わぬが金子とて必要にござったろうに」
「何、御上に言って用意してもらったれば、そのご心配は御無用。
まずは、オロシヤの文字から始めましょうか・・・」
机と共に持ち込まれた大きめの風呂敷包みは、法眼殿の書道具一式と分かった。度々に来るゆえ、預け置きしたものらしい。