九 大黒屋光太夫
ア 徳川家斉の引見
先日にこの道を通ったばかりなのに、見上げる桜の木は丸裸だ。銀杏の木の葉はすっかり晩秋の色を濃くしている。
途中、誰ぞの家の庭先に女郎花に枯尾花(ススキ)が見えた。
何回と通った道とても、季節が変わり、このような景色が江戸にもあったかと先生の宅に急いだ。
法眼殿のお話を是非にお聞きしたい。工藤様を誘いたいくらいだ。
さゑ様の案内に従った。後で、お茶をお持ちしますと、そっと囁かれた。
「大槻玄沢に御座います。ただ今、参りました」
廊下に正座していつもの通りに声掛をした。中から懐かしくも思う人の声が聞こえていたが、止んだ。
「入るが良い」
先生のお声だ。
襖を開けると、法眼殿と目が合った。お忙しい身にあるとお聞きしていたが身体全体が一回り大きくもなったように見えた。着ている物とても以前とは大分に違っても見える。
先生と士業殿が床の間を間にして法眼殿と対座していたけど、見えたのは後ろ姿だ。この位置取りは小石殿(小石元俊)が江戸に来られた時、先生が小石殿に敬意を表して取った時と同じだ。
今や法眼様は単なる奥医師とは言えない。幕府の推し進める施策にも関わるほどのお方だ。先生の座る位置取りがそれを示しているように思えた。
途端に吾も今までと違う緊張を覚えた。甫周先生、冗談に兄貴とも呼んだ頃、また甫周殿が法眼殿となったばかりの頃とも大違いだ。
「待っていたぞ。先にも話したオロシヤから帰って来た者の話じゃ。
それで其方の所に急ぎ使いをやったところぞ。
法眼殿の時間が許される限りでお話いただくことになった。
お待ちいただいていたところよ」
士業殿が席を譲った。先生と士業殿の間に吾が座ることになった。
「其方のこと故、一番にオロシヤ語のことを聞きたかろうが、世界を知る良い機会ぞ。
(将軍様の)引見は九月十八日に、吹上御所のほうで行われたそうじゃ。
しかし、確かめるべきことが多くて、今も二人の住まいに充てられた雉子橋門外の厩舎空屋敷の方に足を運んでいるそうだ。
十年もの間のオロシヤ国放浪に、女帝との謁見を果たしたとお聞きした。
吾も驚きだが、女帝と会ったとあればお殿様もことのほか関心があったらしい。
引見は央に休み(時間)を取って再開したほどじゃったそうじゃ。
今迄に聞いた中で驚いたはもう一つ。帰国者の一人、船頭、大黒屋光太夫なる者の口からお殿様の前で、オロシヤの国情を語るに法眼殿と亡くなった中川淳庵殿、お二人の名が出たのだそうじゃ。
帰国の労を最も取ってくれた人物、それがキリロ・ラクスマンという草木、鉱石から薬の採取を考える学者だったそうだ。お国の軍事の職にもある人物だったそうだ。
その彼が、日本に来た(阿蘭陀の)カピタンやその随行で来た医者が本国に帰って書いた報告書というのか探検記と言うのか、その書を入手して読んでいたらしい。
本を通じて二人の名を知っておって、何かの時に光太夫に話していたらしい」
法眼殿が後を継いだ。