あの時刻(昼八つ、(午後二時))に士業殿も在宅だと思いもしなかった。
微笑みながら一緒に聞いていた士業殿だ。
「天真楼に学びたい、西洋医学を学びたい、蘭語を学びたいと来られる方はお陰様で今も多くに御座います。
これも、お義父上の功績を映したものでございましょう。
されど、お義父上も吾も互いに忙しい身となって、学びたいと来られた方々に十分な対応が出来ているかと自らに問えば、甚だお恥ずかしい限りです。
そこでこの際に、吾から大槻様にご相談したき事がございます。
蘭語の学び、翻訳に当たって学ぶべきことはと大槻様が先に世に「蘭学階梯」を表してございます。
それと同じように、まずは和蘭医学の初歩、蘭学の伝えている医学医術とはどういう物か、入門を希望して来られる方々に最初に教える、役立つ物はないかと思案したところでございます。
それではたと気づいたは、吾も大槻様も田舎で亡き実父(建部清庵二代目、建部清庵由正)からお聞きしていたことどもで御座います。
お義父上杉田玄白と吾が実父、建部清庵との問答です。お二人の往復書簡は、阿蘭陀医学の実を如何にと問い、漢方と蘭方との違い、翻訳の方法、学ぶに当たっての心構えを伝える、医療を施す者の有り様を語る。
まさに今の世にも生かせる内容だと思った次第です。
その校正、発刊、頒布は如何かと思っておりますが、如何でしょうか」
「初めて聞く。吾とて初めて耳にすることぞ。
私的な往復書簡でもあれば、また、亡くなられた建部殿とのものだ。
吾はここで良しとしても・・・」
驚いた顔をした先生だ。吾よりも先に士業殿に向けた言葉だ。
「はい。そのことも勿論のこと考えました。田舎に在る兄に相談もしてみます。
大槻様のお考えは如何でしょう?」
「なる程。いや、確かに、士業殿の言うとおりお二人の往復書簡を初めてにお聞きした時、吾の心に響もした。
亡き先生(建部清庵由正)が伝え語ることどもに驚きもした。
聞きながらに阿蘭陀医学を学ばねばと心を躍らせたは確かにその書簡にあった。
うん、大いに賛成する」
「兄上に、早速に状(手紙)を認めましょう。
大槻様には序文なり、是非にお願い致したいと存じます」
「まだ気が早い。吾は良いが一関の建部清庵殿(第三代、建部清庵由水、亮策)のお考えもある。吾の送った状の保管をして御座ろうが・・・」
先生に反対の色はない。むしろ、思いもしていなかった提案に満足の御顔だ。吾は、このお話、進めましょうと一押しした。
それからに、吾は気にしていたことの一つをご相談するに良い時かと咄嗟に思った。
「お話が変わりますけれども、先日に、嶺先生にご不幸が御座いました。
嶺先生と一緒に内科の処置の有り様を勉強、翻訳していた明卿があの通り内科提要を纏めて御座います。
明卿は、一段落ついた、嶺先生の意思を無事に継ぐことが出来てほっとしたと申しておりました。
その嶺先生と明卿を手伝っていた者に、実は、安岡玄真という者がございます。まだ二十二、三の若者に御座います。彼の医術はまだまだに御座いますけれども、蘭学にその才を発揮してお二方を手伝って来たところに御座います。
嶺先生の所に寄宿していたのですが、(嶺)先生の高崎藩と何の関係も無く。今に住まいも、これから先の事にも不安を抱いてございます。
そこで明卿と話し、法眼殿の所(桂川家)で寄宿生として貰えないかと思案しております。
先生から、御口添えを頂けないでしょうか」
今度は士業殿が驚いた顔をした。先生のお言葉だった。
「それは良いことぞ。会ったことも無いが、嶺殿から安岡という若者に翻訳の手伝いをしてもらっていると聞いてはおった。
其方や明卿がそういうのなら間違いはあるまい。吾から法眼殿に寄宿生にしてもらえないか、書生にしてもらえないかと話してもみよう。
話からして、急ぐ必要がありそうじゃな。分かった。引き受けよう。
されど確約は出来ぬぞ。先方の事情もあることでな」
「はい。勿論にございます」