七 漂流した民の話

 こんなにも雨の多い年は天明二、三年の頃か。天明の飢饉の有った年以来か。

東奥(みちのく)の農作物の出来具合が気になる所だが、まだしも気温が低くないのが救われる。

「先生はご在宅でしょうか」

「はい、元気にしております。大槻()も益々のご活躍、御耳にしてございます」

 何時から吾を大槻様と呼ぶようになったのか、普段思わぬことを思わず思った。迎えに出た()()様の頭に白髪が大分に目立つ。時の流れを感じる。

「今日も、夜には頼まれている患家にお出かけになると言っております。

とし)だけに夜の往診はお控えになったら、お断りしたらと申し上げているのですが、

(わし)は医者ぞ、昼であれ夜であれ頼まれれば何処にでも行く、歩いて行く、とかえって若い時よりもお元気です。

殿方は、妻が若いと一層お元気になるのかしら」

 苦笑しながらその口元を抑えた。単なる使用人なら吾にこのような冗談を言えぬ。

兄弟ならではの図々しくも言えるお言葉かと思いながら、六十(歳)を過ぎた先生といよ(・・)様(伊予、玄白の後妻)を思った。

まだ小さなお子に、さゑ(・・)様にかかる負担とて大きかろう。

いつもの座敷だ。来ましたとお告げして、廊下に正座してお声がかかるのを待った。先生の所に書生になった頃と変わらぬ。

「うん、入れ」

 何やら書き物をしていたらしい。半紙を閉じ、筆と硯を文机(つくえ)の端に押しやった。

「もう少し早ければ、法眼殿にも会えたのにの。

 久しく会ってはおらなんだろう」

「えっ。甫周様がお見えになっておりましたか?」

「うん。四半時(三十分)ばかり前になるかの。帰ったばかりじゃ。

 ゼオガラヒー(地理誌)を持参して吾の持っている世界地図と比べておったが、最後は、しばらく貸してほしいと吾のも持って行った。

 何でも駿河(湾)の沖で船が難破して、それからオロシヤの地に居ったと言う船頭と水手(かこ)が既にこの江戸に在るらしい。

去年の暮にも少しばかり耳にした、十年ぶりになるとか言うオロシヤ帰りの遭難者の事だ。

 松前まで迎えに行った幕府の者の名と、付き添ってきた松前藩の誰ぞの名を言っておったが良く分からん。

 白子の浦の民と言っておったから伊勢国、紀州藩の(なか)船頭(せんどう)水手(かこ)になるかの。

 オロシヤの女帝にも会ったということで、将軍様が直々に二人を引見する(寛政五年九月十八日)ことになったと聞いた。

 御老中から法眼殿に一緒に聞き取りをせよと命が(くだ)り、改めて己の持っている地図と吾の持っている地図とを照合したい、オロシヤという国と、何とかと言う小島の位置を良くに頭にして調べに当たりたいと言っておった。

 半刻(約一時間)ばかり、持参した地球全図と見比べていたかの。

 得ることのできた顛末(てんまつ)はどこぞの版元から公開したいと言っておった。

異国の文化、生活、歴史等を江戸の市民に知ってもらうには絶好の機会と言っておったが今の世だ。ましてや将軍様引見とあらば、果たしてお上がそれを許すかの。

 うん、それにの。話が変わるが、弟御の森島殿(森島中良。本名・桂川甫粲(ほさん)、法眼・桂川甫周の弟)が近じかに白河侯のお抱えになるとか話しておった。

 兄弟そろって今のご時世に貢献出来ようと言うものじゃ。

うん?どうした」

 吾の少しばかり黙って聞く姿に即座に反応する先生だ。

「はい。法眼殿が羨ましく思います」

「ハハハハハ、何。其方もいずれお上の大役の一つ(一端)二つを担う時期(とき)が来よう。

 焦る必要はない。

 その身になるよう、何処ぞで老中等に推薦せずばなるまいの・・・」

「越中侯(白河侯、松平定信)が御役御免になりましたが・・・」

「うん。そうなった子細はそっと聞き及んでもいるが口に出来ぬ。

 なれど、将軍様引見の場に越中侯も着座すると言っておった。

 何、侯の及ぶ力はまだまだぞ」

(松平定信の失脚は時の将軍・徳川家斉の怒りを買ったことによる。

家斉は一橋家の実父・一橋(ひとつばし)治済(はるさだ)に「大御所」という尊号を与えようとしたが、定信は、将軍の経験のないものに大御所の尊号を与えることは出来ないと主張した。

 この件に先立ち、養子の身で天皇になった時の光格天皇が、実父・閑院宮(かんいんのみや)(すけ)(ひと)親王(しんのう)太上(だいじょう)天皇(てんのう)(上皇)の称号を与えるよう幕府に上奏した。しかし、松平定信の、天皇に無かった者に上皇の称号は与えられないとの反対意見で(称号の)付与は見送られた。幕府は代わりに閑院宮典仁親王に千石の加増をしている。

 大御所の尊号の一件は、松平定信の公平を期した意見、処置と思える)

 帰りの道々、先生にお聞きしたことに、かつて工藤様にお聞きしていたことも加えて頭の中で整理した。

去年の九月に根室にオロシアの船が来た。船の名はエカテリナ号。アダム・ラスクマンとかいうのが船長だ。漂流民だという日本人三人を連れてきた。

「三人の名を知らぬが、折角に日本に帰れたのに一人は蝦夷の根室という地で先頃に亡くなったのだそうだ。

 将軍様の引見が終わりもしたら、一段落したとて法眼殿がまた来るだろう。その時には其方にも声をかける。一緒に聞いてみよう。

 オロシヤ語の勉強にもオロシヤの国情を知るにも、今の世界を知る上にも大切な情報じゃろう」

 先生の言った、最後の有り難いお言葉を信じる。

引っ越しを予定している借家が見えてきた。(京橋・水谷町)。広ければ、塾として使う部屋も使用人等にあてがう部屋も今よりは良かろう。

 陽之助も、身重の妻(()()。玄沢の二番目の妻))とて、喜んで呉れる気がする。