五 松平定信の失脚
「号外、号外」
朝から瓦版屋の声が煩い。その声に釣られて表に顔を出した。
七月も末、夏真っ盛りの時期なのに、時折、雨がポツンポツンと落ちて来る。風がないだけまだ良い。
紙面を見て驚いた、驚かずにいられない。七月二十三日。越中候(白河候、松平定信)が将軍補佐の職を下りた。老中職お役御免とある。十日ばかり前の情報になる。吾ら市民には隠されもしていた情報だったのだろうか。聞きもしていなければ、思ってもいなかった情報だ。寛政の改革の中心人物が去るとあり、「白河の清き流れに魚住まず・・・」と皮肉交じりに南畝(太田南畝)の狂歌が付されてある。
田沼様の商売繁盛優先の世から大飢饉とて一気に節約の世、奢侈禁止になったと言っても、倹約令はもともと田沼様の世(天明三年)から続いている政策だ。越中侯ばかりを責めるは間違いであろう。
先生はどうしたろう。瓦版より先に疾うに侯の失脚を知って居ようか。ショックが大きいのではないか。
この先、世の中はどっちに向かうのだ。農本主義か商業主義か。蘭学隆盛の流れはどうなる。候のお側に在る石井殿(石井庄助、和蘭通詞)等はどうなるのだろう。
「はい。吾は変わらず今の職に御座います。何の変わりも御座いません。
いや、驚きました、全くの突然の事でしたから。
お殿様(白河侯、松平定信)の事(老中職お役御免)が藩内に知れ渡った時、この先吾等はどうなるのか、世の中は如何なるのかと仲間内でも大きな騒ぎになりました。
されど、藩内の動揺を抑える必要も御座いましたれば、間もなくに上の方々から吾等にもお話が御座いました。
お殿様の今の役職を違えるは形だけの事、そうしなければ将軍様のお顔が立たないとの事に御座いました。
政事は吾等の及ぶことになければ、それ以上の説明は御座いませんでしたが詮索しても仕方のないことでも御座います。
安堵もしました。
「なるほどの。候の朱子学一辺倒とも思える今を、吾は正直、復古主義に過ぎないかと思いもしていた。
白河候の次の世となれば蘭学の普及は如何なるかと一層心配にもなっていたが・・」
「はい。候のお側に在って吾も異学の禁止、昌平黌の整備等を身近に覚えてもおりましたれば心配にもなりました。
しかし、その一方、候は日本を取り巻く世界の動きにも一層目を配っております。
吾等をお側にお呼びしたのも世界の情報を知るため、蘭学の必要性を今に感じているからに御座います。
国防のこと、地理、天文等々、お忙しい中にも吾等を呼んで直にお尋ねする機会も増えてございます」
「それを聞いて安心もする。
前にも話したが、それ故に蘭日辞典が必要じゃな。
医学、天文、地理、測量、生活の有り様までも異国に学ぶには蘭語の手引書、理解を容易くも助ける蘭日辞書なる物を吾等が手にするよう図らねばならぬ。
吾が外治の訳語、明卿や安岡が書き控えている内科の訳語、良沢先生の手になる訳語。石井殿が今までに書き控えている訳語、橋本宗吉が訳語。山村才助の地理にかかる訳語、恐れ多くも法眼殿(桂川甫周)が書き控えている訳語、それぞれがそれぞれにバラバラに持ってござるが、その訳語を一つに纏めただけでも相当な数の訳語になる」
「成程、それは良い考えでございます。されどそれを纏める手立ては・・・」
「中心になる人が必要じゃな。蘭学に情熱のある者、己自身が蘭学の翻訳に取り組んでいる者が適当じゃ。
吾が担当しようにも先生からの大きな宿題(解体新書の改訂)もあれば(それは)難しい。片手間に出来る作業ではないからの。
吾の所に通っている者の中から人材を得ようか。さすれば作業の過程で吾が相談になることも出来よう。
山村才助が居る。稲村三泊殿が居る」
「承知しました。人選は大槻様にお任せするとして、戻りもしたら早速に吾が語訳集を持参いたしましょう。
所で、お尋ねいたしますけれども、大槻様は外治、内科、地理、天文等々、分野別に訳語を整理する、並べるおつもりか?。
吾の体験をもってすれば、分野ごとと言ってもそれが何の部類に属するのか、区分するにもなかなかに決めかねる物も御座る。
また仮に、分野別に整理するとしてその作業とて大変なもの、容易な事ではござらぬ。
そこで一つの提案で御座いますけれども、蘭日辞典を作るに今にこの日本に入って来ておるフランソワ・ハルマ(オランダ人、出版業者)の蘭仏辞書、辞典に習って日本語に訳すとしたら如何でしょうか。
それで膨大なオランダ語の一つ一つをABC順に並べることが出来る上に、何の部類に属する言葉なのかと悩むことも無ければ区分作業をせずに済みます。
ABC順で出てきた蘭語が皆様お持ちの蘭語の文字(単語)に該当するとき、その時にこそ皆様得意の分野の訳語を利用させていただく、それで訳する悩みも時間も大分に省略できるというものに御座います」
「成程。さすがに長崎におって通詞を務め上げ、翻訳に取り組んでいた馬田殿(馬田清吉)、いや、石井殿でござる。
石井殿は蘭日辞典の編纂に欠くことの出来ぬお人でござる。是非にご指導下され」
石井殿が所(白河藩上屋敷)に訪ねて良かった。白河侯失脚の話から、吾が常々如何した物かと思っていたことに光明が灯った気がする。石井殿の協力とご指導があれば必ずに蘭日辞書(辞典)を手にすることも出来よう。
まさに、これからだ。山村か?、稲村か?、稲村の後に続いて因幡(国)から岸本(岸本雲丈)が門下生として来ている(岸本雲丈の芝蘭堂入門は玄沢の門人帳に寛政四年七月と記録されている)。
稲村自身が作業仲間を作り易いか、協力する者を得易いか。
蘭日辞典作成のこれからの作業のことにも、出来たときのことにも思いが行く。