十 師二人の寿ぎ
床の間に飾った百鶴図を前に寿ぎの酒と膳をしばし頂いた。その後に、士業殿が別室に誘った。
腰が落ち着いたところで語る。
「玄沢様にお越しいただき、誠にありがとうございます。
心からお礼を申し上げます」
「何を言う。そのように改まる仲ではなかろう」
「はい。しかし、今日の事は身内にある者の祝いにございます。
口にせずとも、お義父上は玄沢様のお越しを一番に喜んでおりましょう。
されど、お義父上のこれまでのご活躍を考えれば、祝いの席を改めて別に設けねばと考えてございます。
楼で診療に当たっている者、教壇に立っている者、かつては先生の教えを受け、今に江戸に在ってご活躍をされている方々。
少なくはなりましたけれど蘭方も蘭学も学ばんと今に楼に通ってくれている方々や、寄宿生活にある者にも声をかけさせていただいて、都合のつく者の参加で良いと思っております。
その祝いの段取り、日時を決めたいとのご相談でもございます、
・・・如何でしょうか」
士業殿が提案した十一月二日。昼四ツ半(午前十一時)から昼八ツ(午後二時)の時は良いとして、さても声を掛けさせていただく御仁(相手)となると、この帰りの道々にもなかなかに決められぬ。
先生(玄白)六十歳。良沢先生(前野良沢)七十歳。吾から還暦と古希を寿ぐ、お二人合同の宴にしようと再提案した。
「それは良い。良いお考えです。
お義父上の事ばかり念頭にございましたが、おっしゃる通りにございます。
是非に御一緒のお祝いの席に致しましょう」
声を掛ける御仁は士業殿が楼(天真楼)を中心にして名簿を作る、吾が良沢先生の所に今に集まる者、かつて教えをいただいた者の中から出席できそうな方の一覧を作り事前に持ち寄ることにした。
その時にまた細々したことを決めることにしたものの、士業も吾も人を集めて何かをしようとするのは初めてのことだ。
なればこそ、不安の方が先立ちもする。
士業殿(杉田伯元)を司会・進行の役とした。彼が開会の挨拶と共に簡単に祝辞を述べ、紹介の有るままに吾が予め書き置いた「鷧斎杉田先生六十寿序」を基に祝辞を述べた。
最初に元禄、宝永以来の我が国、医学界の動向を語り、それから長崎表まで出かけた蘭化先生(前野良沢)の蘭書解読にかかる努力と研鑽を披露し、その後に鷧斎先生(杉田玄白)が蘭化先生に学び、かつまた医学書翻訳の所業を主唱した、それが解体新書となり、今日の蘭方医学の隆盛をみるに至ったと、時の経過を語りながら二師の業を称えた。
出席されている方々の中に、近年、二師の仲が良くないとあれこれ噂する者があればこそ、あえてお二人の良き時の関係を持ち出した。
また、「奉教継志」(教えを敬い、志を継ぐ)の言葉を借りて、二師の意思、功績を継ぐ者としてお二人の名を汚すこと無きよう年々に勉励に勤めている、士業と共に戮力碣心して終身その業の集成を願うのみであると、明卿をはじめとする天真楼社中の皆様を前に誓いのほどを披露した。
そして、吾も士業もまだ金声を得ていない(誇れるほどの業績も上げていない)が今後とも精進していく、後に続く皆々の活躍もまた一層期待すると後輩を鼓舞もした。