市民の出で庶民派を自ら語る司馬殿には、出版するとて序文や跋文を書いてくれる方の変更が余程に許せないことだったのだろう。
だけど、極端な決めつけではないか、批判ではないか。吾に、出自や今の有様を以って人を区別する気など毛頭無い。三年前のあの時にも事情を説明したではないか。
出版費用も無い吾に、金銭的援助を申し出た朽木殿だ、法眼殿だ。それに報いるための変更だった。先輩よ、司馬殿よ。勝手に言うな!。決めつけるな!。
だけどその後にも、彼の吾に対する批判は度を越した。蘭学階梯が江戸市中で大評判になり、版を重ねるとなおのことに批判が増した。
ああなると、最早売れたやっかみ半分の批判としか思えない。今回の事とて、一言、地球図を作る。参考にする。発刊すると言ってくれればそれで良いものを・・・。手にして見ているうちに段々と腹立たしくもなってきた。版元に凸凹堂とある。
須原屋の大きな暖簾を割って外に出ても、歩きながらも三年前の彼の批判を何度も頭の中に繰り返した。だけど、思い出してはその都度に悉く反論したくなる。
腹の虫が収まらぬまま家に帰って、来ていた才助(山村才助)を相手にその話をした。
「先生は、その(モルテイ)世界図、吾にはまだ見せてくれていません。
吾が地理を専門にしている。地理の研究をしたいがゆえに蘭学に取り組んだ、芝蘭堂に入ったと知りながら世界図を持っている
と言いませんでした。
その方が、吾は腹が立ちます」
とんでもないことになった。思っても居なかった反撃だ。
「司馬殿は、確かに今は世に少しばかり知られておりますけれども、何、自分一人では何も出来ないお方でしょう。
先生に教えてもらった銅版絵図のやり方(エッチング)のことも、また、今に市民にも人気のある浮世絵のこともそうでしょ。
鈴木春重とか名が有りながら、春信(鈴木春信、浮世絵師、多色刷りは彼に始まる)の絵の下書きをしていたとかで、師(春信)が死んだ後も鈴木春信の名を借りて絵を出している、それで銭を得ている、そう噂されている方です。
卑しい出は、やることも卑しいままです」
「其方に世界地図を持っていることを言わなんだは謝る。
今後に見せもしよう、貸しもしよう。
されど、司馬殿が市井の出、市民の生まれだからとて何の問題が有る。
子は親を選べぬ。人の出を以ってとやかくに評するはもってのほかじゃ。
吾の家の教えに、その身の出や今の身の有様(身分)を以って人を判断してはならぬとの教えがある。
吾の弟子と言うならば、その事、しかと心得よ。
礼を欠いている、欠いたと言うことと、出自の問題は別なことよ!」
逆に才助に忠告した。武家の出にある才助が、吾の言葉をどのように受け取ったか知らぬ。
だが、吾の世界地図を手にした才助はそれで満足した。