五 再婚の報告
五月も半ばになる。見える木々は大分に新芽を吹き、薄緑になっている。春の陽気は桜の季節よりも確かだ。
少し汗ばむほどの陽を浴びながら工藤様宅に向かった。お会いするのは良沢先生の奥方様の葬儀以来だから三カ月近くにもなるか、お久しぶりだ。
道々、仙台藩の今の地位に在るのも工藤様が居たればこそと改めて思う。
小門を潜った。小さな庭で七、八つにも成るか、娘子三人が手毬に興じていた。
二人は工藤様の娘子だが、一人は近所の子か。
「お父上はご在宅か?」
「はい。おりますが・・・」
語尾を濁した背の有る方の娘子は、その後に、今、お手を離せるか如何か・・と言葉を付け足し、暫くお待ちくださいませと言って駆け出した。
「おう、よく来た。上がれ、上がれ。暫くぶりじゃの」
玄関口に自ら姿を見せた工藤様の一声だ。その横で、呼びに行った娘子が頭を下げた。きっと、吾の名も顔を覚えていたのだろう。娘子は確か拷子と言ったか、吾の方はうろ覚えだ。
背中を見せたまま、短い廊下を歩きながらだった。
「妻が寝込んでの。(病の)元が吾にも良く分からん。流行り風邪でないのは確かだ。
身体の中の(内臓の)何処ぞに腫物でも出来たか。
娘達に母は不治の病だと、言えないでのう」
「えっ、その疑いがあると?」
「この病が重ければ食欲が減る。食べたいと欲があっても食べられなくなる。
当然に身体が細る。体力が無くなる。
時に痛みが酷くもなる。吾の診たてが間違っていて欲しいものよ」
そんな、と思いながら何も言うことが出来ない。工藤様の診たては吾よりもはるかに確かなのだ。
それを聞いたからか、奥方様の床を拝してもお顔を真面に見られなかった。何時かに見たふっくらしたお顔は頬が幾分こけていた。脈をとったものの、お大事になされ、ゆっくり養生なされとしか言えなかった。
工藤様の招く部屋に入って、またまたに驚くことを耳にした。
「林子平が国許蟄居を命じられて、仙台に帰ったことは話したかの。
今は、実の兄になる(仙台藩)藩士、林友諒殿宅にある。
その子平の言葉が今に江戸詰めにある藩士から吾に伝わってきた。
身につまされる言葉よ。
『親も無し、妻無し子無し版木無し、金も無けれど死にたくも無し』、だとよ。
自ら六無斎と号しているとか。洒落と分かっているが笑えぬ話じゃ。貴奴とはかつて希望と夢も持って北国のことを論じた仲じゃからの。
肩を落とした貴奴の姿が思われて涙が出る」
語る工藤様とてお顔が細くも見え、僅か三カ月見ぬ間に白髪が大分に増えたように写る。軽い気持ちで消息伺いと吾の再婚のご報告をと訪問したが、人の世の移り変りと生きることの厳しさを改めて思う。
間を置いた。そして、少しばかりためらいもしたが口にした。
「此度、武蔵国川越藩、松平大和守(松平直恒)殿家中、平田小十郎(平田武政)殿の娘子、莎葉殿と再婚することになりました」
「おう。それは良かったではないか」」
お顔を上げた工藤様だ。
「息子は陽之助と言ったかのー。まだ五つ、六つじゃろ。年端も行かなければ母親が必要よ。
また、其方も何かと世話をしてくれる、身近に相談相手となる相方が必要じゃて。使用人では出来ないこともあるでの。
良い、良い、うん、良い事よ」
近付き、吾の顔を見ながら肩を叩く工藤様は息子の嫁取りを喜ぶような仕草だ。
今に米沢に帰っている堀内(堀内林哲)から七月二十一日付けとある状(手紙)を受けとった。七月も終わりに近いが、日付けからして状は早くに着いた部類に入ろうか。
奥方や母を亡くしたとの報、遠くからお悔やみを申し上げる、また再婚したとの報、お喜びも申し上げるとある。
そして、翻訳し、刀傷の傷を治す外科手術の方法をまとめてみた。「金創金函」と言う名の書にして家に残し置きたいとある。
大都会(堀内林哲は二五〇年余前の手紙で実際にこの文字を使っている)にあって修行した、その証しとして記し置きたい。朝夕に心血を注いだ作なればその良し悪しを伺う、また、是非に添削をしてほしいともある。
林哲は名を改めたのだろう、花押が忠明になっている。先日に、銀街の端、芝口手前の酒屋で(河野)意仙と旧交を温めたが、田舎に在るとても良く知る者の手紙は会えた如くに嬉しい。
友、遠方より来る。また楽しからずやの心境だ。吾を信じ、遠方より寄せる便りを片手にすれば、独り、少しばかりの酒を味わい、沢庵一切れとて満足を感じる。
久しぶりの消息になるか、堀内も江戸を離れて二年になるかと数えた。