(しっ)(きん)之歓既十年  団圓(だんえん)幾日共常珍

情炎(じょうえん)夢如帰造花  二十七年一眴(いっけん)

(すぎ)(しひ)既長生年浅  歓娯(かんご)常尠憂患(ゆうかん)

(ゆう)(こん)縹渺(ひょうびょう)去不帰  (略)

(中略)

慈母(いたずら)孤孫擁泣  孤孫是誰向親乎

苦楽(よう)寿(じゅ)数有雖  声呑不覚涙満(きん)

 耿耿(こうこう)中夜不能寝  起看残月下嶙峋(りんしゅん)

「句を認めるにあたって、書いたものじゃな。

 意味と言うか心情は、夫婦仲の良さの(よろこび)は凡そ十年。仲睦まじき家族の日々を共に過ごし、常に素晴らしかった、とある。

 されど夫婦の契りは夢の如く自然に帰し、妻の二十七年という歳月は一瞬に似たもの。

 過ぎ去った日々は長く思えども、共に生きていた日は短い。喜びや楽しみは少なく、心配事ばかりだったろう。

 今もかすかに妻の魂を身近に感じる。

 去りがたかろう。老いた母はただただ独りになった孫を胸に抱いて泣き、子(陽之助)はこれより誰を母とする、・・・か。

 喜びも悲しみも、また人の命の短いも長いもあると知っていても、手にした(ぬの)は涙に濡れる・・・。玄沢も憎い奴じゃのう。吾とて・・。

 悲しみを声にも出せず、心穏やかにもならず寝ることも出来ず、起きてみる夜明けの月はそっと山陰に隠れて行く・・と来たか。

 絶句は二行目と四行目とで韻を踏む。そんなことは如何でも良いか。

絶句を纏めるに当たっての下書きだな。これは古詩(こし)じゃ。句数の決まりが無い。玄沢らしい心の吐露だな。

 これを見ると、「紅顔」は孫。(子煥(しかん)の子)。

「白髪」は子煥(しかん)自身ではなく年老いた玄沢の母上じゃな。

 去りがたくしていた奥方の魂が、明け方に独り山陰に消えゆくと認めたか、・・・。

 昨夜のあの雨、風だ。雨の音、風の音、嵐をもって己の悲しみを表現したものよ。

名文じゃよ。

 このまま、そっとしておこう。

 寝れるときに寝ればいい。士業殿、そっと、そっと退散じゃ」

 

 吾が寝ている間に明卿も士業も来た。寝れるときに寝かせておけ、そっとしておけと言ってお帰りになった、とお通さんとお富さんに聞きもした。

 あの日に吾の肩に羽織を掛けて呉れたのも明卿らしい。

 

 初盆も過ぎた。家族と使用人に明卿や士業だけでなく、先生(杉田玄白)や工藤様(工藤平助)も、(とおる)様(前野良沢の長男)も、また、才助(山村才助)も、今江戸に在る塾生達も新しい墓石に手を合わせてくれた。

 きっと、()とて草葉の陰からお礼を述べていただろう。

 参加した人が多かったせいもあろう、吾に手を引かれながら頬を伝う涙を拭きもせず、何の言葉も発せず、口を一文字にして墓石に向かった陽(陽之助、五歳)だった。

 手にした花束は重かったろうか。あの時が今も思い出される。

 お悔やみの言葉も励ましの言葉も皆様から頂いた。陽も母上もおれば、使用人も居る。大黒柱の吾が何時までもウジウジしていてはなるまい。

「私も陽も、またお義母(かあ)(さま)も貴方様しか頼る柱がございません」と語った、(よし)の言葉を思い出しもする。

吉の姿形(すがたかたち)が無くとも、涙が吾の頬を伝っても、心配するな心配するなと亡き妻に語りかけもする。