何故にあのまぐわい(性交)を望んだのだろう。己の死期を悟っていたと言うことか。この世にまだまだ未練を残しての事だったか。
あの時、何度肩を揺すっても、何度呼びかけても、応えがなかった。
吉の最後の言葉通りに家族と使用人だけの野辺送りにしよう。 そう思うも、江戸における大槻家の墓地とて無い。
どうした物かと思案して急ぎ工藤様に相談した。
「悩むことはない。武家の墓と言えばこの江戸に東禅寺がその一つじゃ。
諸大名が菩提寺にしておる。仙台藩もその一つよ。
其方の居った関藩(一関藩)の初代藩主、田村建顕公も眠る東禅寺じゃ。
高輪にある。遠くも無ければ、そこにしたらどうじゃ」
「恐れ多いことでは・・・」
「何を言う。其方も武士の出ではないか」
吉の出自の斎氏の事は詳しく知らない。されど、関藩に仙台藩との謂れのある寺とあれば田舎にも通じよう。
吉とて一関の傍の村が生まれ故郷だ。少しは田舎の匂いも窺がい知る寺とあれば・・・。そう思うとその外の寺を探す気にもならなかった。
朝に小雨の降る日だったが、東禅寺に向かう時には雲間も切れて青空が広がった。
吉の最後の心配りだったろうか・・・。
山門に至る坂を上るときには陽(陽之助)の右手をしっかりと握りしめた。
覚束ない老母の足を確かめながらだった。
境内は大木や竹林の若葉に覆われていたけど、御堂を見るに、涙に霞んだ。
(寛政三年六月十三日。妻、吉、死す。享年二十七歳。官途要録に記す)
ウ 哭妻
「主は?、子煥(玄沢)は?・・」
「お部屋に閉じこもっておいでです。
ここ三日、碌にお食事も召しあがらず、
私等(使用人)皆々心配してございます」
「昨日にも来ようと思ったが、あの通り雨風が酷かったでの、今にした。
お子は?」
「陽(陽之助)様はまだに、母上は何処、何処とお聞きになります。探し回ります。
それが哀れで・・・。
お祖母様の所かと・・」
「仏様を拝ましてもらおう。それから奴の部屋を覗くとしよう」
「子煥、玄沢。入るぞ、士業と一緒じゃ」
「・・・」
黒い板戸は難なく開いた。
「寝てる。そっとしよう。
飯も碌に喰わずと言えど、まだ仕事をして居ったか。文机に書き物が有る」
「顔に涙の跡が・・・」
「疲れて・・、奥方を思って寝入ったか。
翻訳ではなさそうだな。それらしき本も無ければ辞書も無いが・・・。
何をして居った・・・」
紅顔泪滴満衣布 白髪悲吟夜々新
一片陰山孤独立 于聲暴雨衣凄風
「これは・・」
「明殿(明卿、宇田川玄随のこと)。七言絶句にございますな・・・。」
「哭妻か。子煥は漢語も、中国からの本も翻訳して居ったからの。
哭妻は白居易(白楽天)の長恨歌の中だ。
玄宗(皇帝)と、その愛する楊貴妃(玄宗の愛妾)の悲劇を詠んだ白居易の詩を知っておろう。
子煥もまた、奥方の死をあきらめきれず書き認める気になったのだろう」
「その下にも何か・・・」