十二 まさか、まさかに

             ア 妻、吉の容態

 吉は待っていた。

「お帰りなさいませ。御無事で。お元気でしたか?」

「うん。まだ歩けるぞ。少しばかり士業と休むが、酒だ。酒ぞ」

「いや、この時刻だ。奥方様に余計に世話をかけるゆえ酒の用意は要らぬ。

 彼も居るでの。何、少しばかり休ませてもらって、早々に退散します」

 吉の姿が消えると、吾も士業も足を投げ出した。

「楽にせよ、其方も足を楽にせよ。今日一日、ご苦労であったの。美味い弁当だったぞ」

「有難うございます。お役に立てて・・」

「弁当は弁当屋だ。だが、其方が居なければ買いに走る者も、持ってくれる者も居ないでの。世話をかけた」

 士業が書生に(ねぎら)いの言葉をかけた。

「いえ、先生のご配慮が無ければ御薬園を見ることが出来ませんでした。

 ましてや、今日一日に多くの先生方を知ることが出来ました。

(まこと)に有難うございました」

 良い師弟関係にある。素直に己の心を口にする書生を見ていて、陽助は何処でどうしているのか、何をしているのか、良き人に会えていれば良いがと疲れた身体にも陽助に思いが行く。

 使用人を起こさなかったのだろう。吉が酒を運んできた。盃も香の物の乗った皿も三つあるのが良い。

 少しばかりの酒を口にして士業が退散すると言う。先生に宜しくな、と暫くご無沙汰している故に言伝(ことづて)を頼み、()と一緒に玄関口に見送った。

 もう夜も四つ半(午後十一時)に近かろう。床に入ると、足腰をお揉みしましょうかとの()の言葉に、細くもなった身体を抱き寄せた。

 疲れ切った身体なのに、()を求めた。

 

 四日ばかりして(経って)、明卿が来た。五月晴れの空と、正に初夏の陽気だ。

吾の部屋に入ると、いきなりだった

「須原屋が吾らの駒場御薬園行を知って、其方に顛末を書いて貰いたい、畹港漫録の一つに加えたいと申していた。

 吾から其方に頼んでもらえないかとの話じゃ。

 其方の忙しい身を知っておるが、大槻玄沢の名で出せば採算が取れる、余計に売れると見込んでのことじゃろう。

吾(明卿)に頼むとは言わなんだ」

 言いながら明卿の顔が笑っている。

如何(どう)じゃ、書いてみるか。報酬はまた其方と相談の上とか申していたな」

「御薬園の事は、書くとても先に曽生に話さずばなるまい。

 ご迷惑をかけられぬからの」

「うん、そうだな。そう言うと思った。其方の言う通りじゃ。それでの、先に曽生と話してきた。

 お上の管理する薬草園、鷹狩の場のことを真面(まとも)(したた)めたら後々何かと面倒なことになるやもしれぬ。

 それで、二人で話しているうちに、夢の中のこと、夢の中の御薬園行としたらどうじゃと言うことになった。

 行ったところの駒場御薬園もその他の事も皆夢の中のことにする。

 行き帰りの距離等も仙人でも無ければそのようには出来まいという作りにしたらどうかと二人の意見が一致した。

夢の中の体験談とあれば、御上とて文句のつけようもなかろう。

 また、第一、書く本人が仙人にも為ると言うことじゃ。面白いと思わんか」

「なるほどのー。吾が仙人になるか。長房の術を使って一日に百里の道を往還したとでも書ける」

「それよ、それ。御薬園に行った者たちが一日に百里(約四百キロ)、いや五十里でも往還したと書けば人ごとでは無かろう。

 鬼神か仙人の為せるところよ」

「それも面白いな。これぞ戯作者、(はな)(えだ)(たね)(しげ)(ハナシノタネナリ)になるか」

「奥書きは吾に任せろ」

(この駒場御薬園行は、早稲田大学図書館所蔵の「夢遊西郊記」を基に創作した。その末尾に寛政辛亥(かのとい)(一七九一年)仲夏  畹港 磐水子記と有る。

 また、奥書は寛政辛亥之秋  (かい)(えん) 宇明卿と有る。(槐園は宇田川玄随の号)。

 奥書の一部は、「(ぶん)詞金爛(しきんらん)情至(じょうち)可娯(たのしむべく)序事(じょじ)確実(かくじつ)歴々如可(れきれきさしかぞう)指数(べきがごとし)曲盡(つぶさにこん)懇到(とうをつくし)(いまに)読者恍惚乎(どくしゃこうこつかや)」、とある。

句点は筆者。書下ろし文にすれば、「文章は華やかにして楽しむべく記述にて確かなり。その楽しさを数えるがごとくに十分に行き届いた文章である。今にこれを読む方は現実と夢の間で恍惚となるだろう」)

 

[付記]:昨日、12月11日、早稲田大学図書館から、申請していた物にかかる「資料特別使用許可書」が届きました。

国の重要文化財はその通り明記すること、早稲田大学図書館所蔵と表示すること等の許可条件を遵守し、ブログ投稿の際に関係資料を開示してまいります。

   昨年(令和五年六月)に、一関市所蔵の大槻家関係資料4,048点が新たに国の重要文化財となったとお聞きしております。

小生自身近くに生まれながら、大槻玄沢とはどんな人物か、何をした人なのかも知らずに育ちましたが、一層誇りに思い、執筆を続けたいと思っております。

   大槻玄沢自身の著述した書も、また、大槻玄沢に掛る研究図書等も多く見ることが出来ますが、大槻玄沢自身を基本に据えた小説は目にすることは出来ません。かつて、小説は無かったと理解しております。

   関係者のこれまでの出版物や小生自身の文献調査等を基にして大槻玄沢像を作り、引き続き作品を書いていこうと思っております。

   このブログをお読み下さる皆様、今後とも、宜しくお願い致します。

   なお、USBへの移行時に操作を誤って削除してしまった原稿220枚分は、早稲田大学からコピーしていた分を返還して頂き復元することが出来ました。

   今は、落ち着いて、下巻に相当する分の執筆に取り組んでいます。

重ねて、今後とも宜しくお願い致します。