三人の姿が見えないと、頭数を確かめた曽生だ。
「何、直ぐにも追いついて来ましょう」
珉治殿だ。道案内役なれば、最後まで皆の足の具合を計っているようにも思う。
吾はふと、中国の故事(古典小説)を披露したくなった。
「ここまで来れば、後、もう少し、酒でもお茶でもやりながらにお聞き下され。
昔の中国の話でござる。
劉晨と阮肇という妻子を持つ若者二人が薬草(原文は「カジノ木の皮、紙作りの原料」)を採りに天台山(中国浙江省)に登り、道に迷った。
彷徨い、食料が尽きたところで山の頂きに桃の木を見つけ、その実を喰い、辛うじて命をつないだ。
それから家に戻れるかと山を下り、大きな谷川のほとりで顔を洗っていると、蕪の葉と米粒の残るお椀が流れて来た。
近くに人里がある、これは助かると二人は川を遡った。
そして、出会ったのが絶世の美女である若い仙女二人だった。
劉晨と阮肇は二人に助けられると思って、言われるがままにその後をついて行った。しかし、着いたところは見たこともない、世にもこのような所があるかと見まごう桃李咲く煌やかな里だった。
昼に酒、夜に享楽の歓待と夢のようなもてなしを受けた。やがてそれぞれに夫婦になりもした。
しかし、半年ほども経って若い二人は望郷の念に駆られた。
仙女二人は、「聞けば里に妻子を残し、罪業に引きずられている貴方様達を如何して引き止められましょうか」、と泣く泣く送別の宴を開き、そして、見送った。
山を下りた二人は村に帰った。しかし、その村は一変していた。親戚、知人が一人もいない。
家のあったところに住む今の住人に聞けば、何と七代後の吾が子孫であった。
一人が、はい、漢の御代に山に入った二人の若者が戻ってこなかったと曾祖父から子供の頃にお聞きしたことがございます、今は晋の代(紀元三八三年)でございますと言う。
劉晨と阮肇は、その後、ぶらりと何処かへ行ってしまった。行方は誰も知らない。
六朝時代(三~六世紀)の幽明録に載る、「劉晨阮肇」の話じゃ。
何、遅れた二人ならぬ三人は、今頃、故事のごとくに仙境の境に遊んでござろう。若い、若い」
「さすがに大槻殿じゃ。中国の故事にも詳しい。
今頃三人は確かにその古事のごとくに仙境の境に身を置いてござろう。
酒も美味い。仙女にあらずとも女子も良い。放っておきましょう。
吾もその身にあった方がよかったかも・・・」
新山の最後の言葉に皆が笑った。
そうじゃ、そうじゃと言う者。魂胆あって仲間内をそっと抜け出す、何時の世も同じじゃという者。皆の笑いが起きた。
茶房を出ると、周りは真っ暗闇だ。空模様も怪しければ月も無い。茶房に居た時と打って変わって、皆、黙々と疲れの溜まった足を進める。
ほどなく赤羽橋だ。渡って真っ直ぐに行けば右に増上寺の森が見えてくると分かっているが、橋の手前を右に曲がった。
然程離れてもいない将監橋を渡れば道が細くなろうとも明かりのある繁華街に至る。珉治殿の選択に皆がそうしようと同意した。
橋を渡り、しばし歩けば左の薄ら闇に(芝)大門も増上寺も見えてきた。
五つ半(午後九時)にもなろうに、途端に門前とて商店の灯りが右にも左にも連なる。
暗闇にあたかも昼がごときと言ったら大袈裟か。倹約令は何処に行ったやら・・。
引き手女子の声も響けば、旅の人馬の往来も未だに続く。門前を右に取り、半丁と進まず左に銀街だ。商店の灯りが一層光る。
吾が家にも近ければ、帰って来たなと最後の元気が出る。
(夢遊西郊記には、「出大街孔道、左右満燈、往還旁午、相携北十数街」とある)
疲れがある。棣棠亭前で、一同は珉治殿に一日のお礼を言うや否や三々五々に解散だ。
曽生も山田殿も帰った。明卿に、今夜は俺のところに泊れと誘ったが帰ると言う。
士業を誘い、吾が家に戻った。
(夢遊西郊記には、「夜、正初更、引士業入余廬」とある。初更は現在の午後七時又は八時から二時間をいう。士業、吾の所に寄るとある)