間もなくに、注文したそれぞれの酒の肴が出てきた。二人の小女子が縁台(卓子)に黙って並べだした。
嘘か誠か分からぬ。客の注文があってから作るから時間がかかると明卿が説明するのを可笑しく聞いた。
一同はすっかり酔い、先客二人が店を後にすると辺りかまわず声高に話し、高笑いだ。まさしく傍若無人の酔態だ。
酒徳利は横になった。空っぽだ(夢遊西郊記には、「壜屡空と」ある)。
小母さんは、近所の店から酒を買ってくると言う。
「いやー、源助街は遠くても仙女のような美人の貴女なら「長房の術」も出来よう」
ふざけ半分に健貞がまた絡む。そうだそうだと皆だ。
(長房の術は、中国後漢の道士費長房が、薬を売る仙人壺公から仙術を習い、それによって一日数千里を往来したという中国の故事。
夢遊西郊記には、「衆皆詰曰源助街甚存乎進仙女豈假費長房之術乎」(衆皆詰って曰く、仙女豈仮に長房之術を費せば源助街は甚だ近かろう、とある))
江戸亭を出ると陽は正に黄昏だ。ワイワイガヤガヤ、興は尽きたろうけど歩きながらも声高な皆の様はなかなかに静まらない。
野道、田の道を二里ばかり歩いて驪山に至った。石段を上り、不動尊の祠を目にした。
(驪山は現、目黒不動尊(瀧泉寺)、東京都目黒区下目黒)
陽も陰り始めており、そこを早々に離れたが、さすがに江戸にも世にも知れた瀧泉寺だ。門前に多くの店が出ている。
若い娘が白い歯を見せながら競って行く人にしきりに呼びかける。お休み下され、名物の白玉飴よ、お団子よ、お餅よ、筍飯は如何かと雀にも似てピーチクぱーちく騒々しい。
(夢遊西郊記には「此屋少婦皓歯、競要行人噴噴不止、似鳥雀語也」とある。句点は筆者)
名物の飴だ、餅だ、の後に酒もあると言う。とうとう二、三人が一つの店に入った。
若い。そうなると、明卿も吾も、また曽生も士業も苦笑いしながら後に続いた。
振り返ると、何やら山田と話していた書生がニコッとした。目が合った。
(目黒不動尊に今も青木昆陽の墓があるが、夢遊西郊記に何故か触れられていない。
また、四代目鶴屋南北の歌舞伎演目「浮世柄比翼稲妻」に登場する白井権八と吉原の遊女、小柴を祀る有名な比翼塚(墓)も有るが、その塚は大槻玄沢等が訪れたときの後年のものである)
(参考ー青木昆陽の墓)
ケ 中国故事―劉晨と阮肇
酒のせいもあれば積もった疲労もある。二里ばかりの野の道をゆっくりと歩いた。
陽は既に没し、原と田畑の中とて酔いに任せて詩を吟ずる者あれば、唱を歌う者ありだ。
(夢遊西郊記には、「各乗酔、或諷詩、或唱曲」とある)
日が暮れたゆえに辺りの若葉を目にすることが出来ないが目黒川だ。太鼓橋を渡った。
ひいこらいいながら息も絶え絶えに急坂の行人坂(現、目黒区下目黒と品川区上大崎にまたがる坂)を上る。その先に町の明かりが見えてきた。ホッとした気にもなる。
富士を眺める名所と言いながら、暗闇の中、振り返ったとて富士(山)は最早見えず。薄目に見える眼下の景色もまた川を境に変わっていた。
誰のと知らぬが闇を濃くする蔵屋敷等の長い屏を時折見ながらにまた二里も歩いた。ポツンポツンと人家から漏れる灯を頼りに前に進む。
伊沙羅鶴(伊皿子、現、東京都港区三田と高輪の間)の石で出来た道標を頼りに坂を上りきって右に道を採った。割と道幅の有る通りだ。
右左に名も謂れも知らぬ寺院が続く。それを見ながら足も止めず、やがて聖坂(現、港区三田)だった。
そこを下って、門構えのある茶房に入ることにした。
