己だって、その時までこれがお茶の葉になる木だ、葉っぱだなどと知らなかった。
「丁度に若葉を摘む頃になってござる。
お茶の木の栽培は鎌倉時代とのことだが、今に吾らの多くが口にする武蔵の国の川越茶(現、狭山茶)は、もともとこの御薬園の茶の木の種から出来た産物でござる」
川越茶の由来を聞くとは思いもしなかった。
幾重にも低木の若葉の波が続く。青空に映える景色だ。
東園の門を出て、西の園だと言う所に入った。驚いた。桂の樹が何本も続いている。その中の巨木は数十囲もある幹をしている。
皆が仰ぎ見ては愕然とした。自然の賜物だとの説明だが枝と葉に青空が遮られている。
「実際に見たことは無いけど、これが西洋の書にみるジャングルとか、まるで爪哇とか、
斎狼とかの熱帯地の奥の林かのー」
明卿の言葉に、吾もまた地球儀なるもので見ただけの南国の土地(国)を思った。
もう一度に木々の枝葉を見上げた。
右往左往して、一同は実に一刻(約二時間)近くも園内をぐるぐる巡った。
「これで大凡の所は廻りましたかの」
一同、揃って案内役をしてくれた四十がらみと思われる者にお礼を述べた。
西の御薬園だという外囲いを出た。
入るときと出口が違った。慌てて東門の方に回るにはどのように行けば良いかと聞く始末だ。珉治殿を置き去りに出来ない。
着物を借りた書生だ。
「私が迎えに行ってきます」
士業が頷いた。
「気を付けて行って来い。吾らはそこの物置かの?、日陰で一休みしておる」
園の添地(拡張地)に掘っ立て小屋みたいなのがある。士業が指さした。
書生は背中の頭陀袋を下ろして、皆様の弁当がございますと言うや否や駆け出した。
曽生が案内役に掛け合い、その小屋の中で弁当を拡げることにした。
「腹減ったー」
井上の一言に皆の顔に笑顔が広がり、吾もまた途端に空腹を覚えた。
小屋の中のところどころに蜘蛛の巣が張っている。
圃場(菜園、畑)を耕すための物だろう幾つかの鋤、鍬が有り、板壁に鎌が五本も掛けてある。
立て掛けた梯子もある。隅の端の方に藁も多くに積んである。
「筵をお借りしていいかの?」
「ああ、どうぞどうぞ。何せ広い土地ゆえ見るだけでも一刻(約二時間)。
疲れもしたでしょう。
ここに来るまでの道とて長くござったろう。
吾はこれにて失礼仕るが、皆様、御ゆるりとなされよ」
案内役の語尾は皆に向かってだった。彼はそれで姿を消した。
「あーあ、あの酒は・・、くそー、悔しくもござる」
敷いた藁筵に車座になると、井上殿だった。
皆がそうだそうだと笑いながらに口々に言う。無くなった物ほど欲しくも思われる。
風呂敷を拡げて弁当だ。上品に筍の皮に包まれたおにぎりは海苔が巻かれてある。上物だ。添え物とて沢庵に小魚の甘露煮だ。
それぞれが持参した竹筒や瓢で喉を潤した。
ここでも吉の気遣いが知れた。吾に持たせたもう一つの瓢は中身が酒だった。
「皆にとなれば少しばかりの酒になるが、飲んでくれ。妻が持たせたものじゃ」
「勿体なくも思いますが・・・。依怙地が悪くて。酒と聞けば断ることを知りませなんだ」
井上殿の言葉にまた皆が笑った。
筍の皮が盃代わりにもなった。