「いやー。ドンピシャじゃ。良かった、良かった」
戻って来た彼が皆の顔をみながらに言った。
「園監殿(施設管理者)が、用事が出来たとて町へ出かけるところだった。
少しでも遅れていたら入園も覚束なかった。今日の足は無駄になるところだったよ。
いやー、良かった、良かった。
ただ、問題もある。一行の顔ぶれを言ったら、道案内人と下僕は入園を認めぬと言うことじゃった・・・」
見ると、頭陀袋を背にしたままの書生は顔を下に向けた。失望の体だ。
「園に入るのは何人と事前に伝えておると?」
「珉治殿、下僕も入れて皆で十四人。子謙殿も数の内じゃ」
ならばと、吾はその先の考えを告げた。
「分かった。ならば下僕(書生)は連れて行こう。珉治殿には外で待っていてもらうことになるが・・。
数の内は、子謙が来れなかったゆえ珉治殿と子謙の二人で二減じゃ。
子細を言う必要もない。十二人が入園となれば園側も納得出来よう。数が合う。
吾らと変わらぬ姿形に拵えれば良いのだ。吾の刀(脇差)を貸そう(夢遊西郊記には、「長刀」とある)。
珉治殿、その着ている物を書生に一時、お貸しできまいか」
つづいて言葉を掛ける者が居た。直ぐに理解したらしい。竹内とかいう者だった。
「褌までは要らぬがの」
それで、皆が笑った。
(事前に伝えおいた十四人から下僕(子謙)と案内人分を差し引き十二人)
十二人が御薬園に入った。珉治殿の短掛(短い衣装)を身にした書生も入園できた。
髷姿に刀、脇差を腰にして裁着袴で身を固めた園監だった。
いかにも直ぐに何処ぞに出かける姿形だ。
「下の者に園内を案内させましょう。説明させましょう。
ところで・・、良い物をお持ちですな。その酒樽、吾らにと?。
遠慮なく頂こう。案内する者、説明する者とて喜ぶ。ここに居る皆が喜ぶでの」
井上が曽生の顔つきを伺うのが分かったが、一瞬だった。
腹にも胸にも抱えて酒樽を園監に手渡した。そこに案内要員だろう、鍵を手にして時良く表れた。
「ご持参した頂き物じゃ。有り難く頂いた。後で皆で飲むが良い」
「忝うござる」
部下らしい者の声は笑顔のままに吾らに向けられた。
キ 駒場御薬園
案内と説明を兼ねた者の先払いに皆が従った。
後ろの方から無くなった酒樽を惜しむ会話が聞こえたてきた。
「いやー、広い。広い。広うござるのー」
大平という者の声に明卿も吾もが、広い、広いと声に出して頷いた。不要な会話を打ち消した。
「今に凡そ一万坪を超える。
大きくは東の御薬園に西の御薬園になる。園内に御製薬所に御薬種干場もある」
聞きながら目はあちこちに行く。整理された広い土地に千草万木だ。田園のように整う土地には和漢の薬草が栽培されて有る。
これが何、あれが何と、横に一尺、縦に二寸ばかりの板に草木の名が記されて土に立ててある。
また、案内に沿う道の樹木には、どれにもその木の名を記した木札がぶら下がっていた。
一同は先導してくれる者の説明に耳を傾けたが、草木のもつ効能の説明はむしろ曽生と山田の方が多かった。
「茜草(アカネ)は止血、消炎、婦人病に効く、
淫羊藿(イカリソウ)は滋養強壮、食欲増進、車前子(オオバコ)は万病に効く。
桔梗根(キキョウ)は咳を止め、黄檗(キハダ)は下痢を止め、歯痛にも効く。忍冬(スイカズラ)は利尿を助ける。
麦門冬(ヤブラン)は胃を丈夫にする、心臓の病にも効く・・・・」
木札も見、植えてある実物を見て、これがそうかという声も仲間内に聴く。
吾の知る草木にても、薬草に煎じる前の物を初めて目にする物とて少なくない。
明らかに手を入れた緑の植え込みに至ると、これがお茶だと言う。低木のいかにも柔らかい葉をした緑の畝が続く。
「この葉がお茶になると?。吾らが口にするやつ?」
そんなことぐらい先に知らずして如何する。勉強せよと思うものの、実物を目にするのは吾とて二度目だ。瓊浦(長崎遊学)の帰りの途中に京の端で少しばかり目にした。