珉治が先に道標(みちしるべ)に目を凝らした。吾も良くに見たが、消え失せてなかなかに読むことが出来ない。

「左に玉水(たまみず)、右に駒場(こまば)です」

 目が良いのか読み字に詳しいせいか、横から覗き込んだ新山(にいやま)が言う。それで進む方角は決まりだ。

 見渡す限りの青空だ。キョ、キョ、キョキョキョキョと鳴く杜鵑(ほととぎす)(さえずり)りが空に響き渡る。林の茂みにカッコウの(さえず)りだ。時折、ピヨピヨと鳴く声も混じる。

 野の道を行くとて、皆の声も段々に大きくなる。

「いやー、良いですねー。この青空。鳥の声。若葉ですよ、新芽ですよ。いやー良い。良い」

 北條とかいう若者の声に一同皆納得だ。誰もが空を見上げ、広がる周囲の林や田畑に目を()る。笑顔だ。心までもが清々(すがすが)しくなる。

 ふと思った。この青空を陽助は何処ぞで見ているだろうか。見ることが出来ていようか。空は諸国にも世界にも繋がっている、

 

 歩きながらに目の前の枝を折り、青々とした若葉を手に採り、曽生に草木の名は何ぞや薬としての効能はと聞く。

 持参した紙をちぎっては教えてもらった木の名を記し(書き)、それをその木の枝に結ぶ。何時しか曽生と山田という者を中にして、野の道々、二つの輪が出来た。

 暫く行って、大平殿だ。

「済みませーん。しばし、待ってはいただけませでしょうか・・・。井上殿が遅れております」

如何(どう)した」

 曽生が応じた。

「はい。井上殿が、あの道玄坂下に至る手前で、酒を買う、先に行っててくれ、皆には内緒だ、と言っておりました。それが・・・」

 坂上で休んだ時にも、空を見上げて皆の足が一時止まった時にも、また、ゆるりゆるりと歩きながら草木の名等を聞きながらも、仲間の一人が欠けていたと気づかなかった。

 道玄坂下からならば、既にもう半里ばかりは来たろう。皆が来た道を振り返った。

「列を離れる時には吾に言って下され。そうでなければ困ります。

 園には皆が一緒に入りますでの。

 後で勝手に一人で入ることなど到底出来るものでござらぬ」

 曽生の怒気は大平という者に向けられた。

「待とう」

 明卿の一言だ。

 士業が休もうと声をかけたが、腰を下ろすに適当なところが無い。足元も周りも生え始めたばかりの草に昨日までの長雨の水気を含んでいる。

 立ったまま、皆が時折来た道を振り返り、待った。

 一度吸えばまた吸いたくもなる。それが煙草だ。段々に煙草の効能は中毒にあると知りつつも、先に水筒を口にして額の汗を拭い、吾もまた一服、点けた。

 

 間もなくに、井上と呼ばれる者の姿が見えた。皆の心配も、皆が待ちぼうけしていたも知らず、遠くから買ってきたぞーという。両手に持つほどの大樽を胸で手にしていた。

 顔が笑っている。得意満面で近づいてきた。

 明卿が、曽生の袖を引いて発言を抑えた。

「いやー思ったより重い。重かった。酒だ。酒、酒、酒。皆、元気を出せよ」

 一同がどっと笑った。こうなると、待ちぼうけも何もあったものではない。よくぞ気づかれた。良くぞやった、やったやったと(はや)す者とている。

 交代で持とう、一緒に持とうと言う者までもが出た。如何(いか)ほど入っているのだろう。もう、そんな詮索すら必要もない。

 陽はいよいよに高くなっているが、まだ昼四つ(午前十時)前だろう。青空を見上げ、額の汗を拭く回数が増えてきた。

(ようや)くに駒場御薬園が見えてきた。皆の足が自然と速くなる。

門前に着いた。曽生が、しばし待てとて掛け合いに行った。酒樽は探しあてた、乾いている土の上だ。