ウ 黎明庵、
それから間もなくに一関侯の下屋敷(同じ青山百人街)前に出た。側に在った一軒の立派な茶店を覗くと、居た、居た。先行した者達が休んでいた。
外を見張っていた、吾らを待っていたと語る。
茶店は「黎明庵」とある。吾らも休むことにした。
案内され、赤い毛氈を敷く縁台に座ると、目の前に紫色の藤棚が広がる。梅の花は咲き終わっていた。
抹茶を頼めば、何やら和菓子子がついてくるという。赤い襷に前掛けをした若い女子の説明に吾も含めて後続の者は皆それで良いとなった。
士業が心配するな、吾が出す(支払う)と書生に語るのを耳にした。
ぺこりと頭を下げる書生が可愛い。彼もまた店の女子と同様にまだ二十歳前後か。
巡らされた垣を外れてその右に庭園があり、色々の木が植えてある。珍しい。貝多羅樹だ(インド産の樹木)。以前に、「貝多羅樹考」を書いたことを思い出した。
(夢遊西郊記には、庭園の中に、所謂、貝多羅樹と言われる珍しい木があった、その葉は文字を書くのに用いる。以前に書いた書に「貝多羅樹考」が有る、と記している)
座る縁台の端に閉じた和本一冊が置かれてある。パラパラとめくっていた明卿が、黙って吾に寄こした。顔が微笑んでいる。
見れば、表紙に「発句、狂歌二色集」とある。これまでの先客の幾つかを読み始めると、明卿が追い打ちをかけた。
「一筆発句、書き認めたらどうじゃ?」
先の女子がお茶と菓子を運んできた。注文者の数が多いとてその後ろに続く二人の女子もお盆を手にしている。
女子が吾の手元を見て言う。
「ここを訪ねる方に句や狂歌を楽しむお方が多くございます。是非に一句、お創りなさいませ。
最後に是非に御名を忘れずに・・。御名も頂ければ幸いと存じます」
言い慣れた口調だ。
和歌はもとよりだが、江戸に上って凡そこの十年はそれ以上に句も狂歌も川柳も流行りだ。それだけ世の中を斜めに見たいのか皮肉りたいのか。
いや、詩に託すほどに天明の世も今の世もお上の考えと市民の考えに大きな違いがある。今の世の奢侈禁止、倹約に勤めよの御上のお触れは、市民の間にどこ吹く風とも映る。
吾は世間のことに疎い。されど、今年は豊作になりそうだと今からに占う御仁を信じても居る。飢饉に見舞われた天明の世は御免だ。
そんなことを考えていると、詩情も何もあったものではない。嘘風、嘘風旅人、花篠種茂などと戯れ名をもつ吾だが、書く情が湧いてこない。
「ここは、文人墨客と言われる御仁に任せるよ」
和本を返そうとすると、含み笑いをして明卿もまたそっぽを向いた。
エ 酒樽
「黎明庵」から稲葉丹後守殿(山城淀藩)、松平左京殿(伊予西条藩)の上屋敷等を左右に見ながらに宮益坂という坂を下った。
半里も無かった。渋谷川を境にして野道になる。道玄坂というところを少し登って道標に至った。左右に田畑と山野が広がった。
景色が良い。世間の煩わしさを忘れるほどだ。皆が大きく息を吸い込んだ。陽射しが強くなり始めていても空気とて美味い。
「もうそろそろ昼四つ(午前十時)にもなりましょうか。駒場まではあと一息。余裕、余裕。ここまで思った以上に順調でしたね」
「天気が良いからの。それが何よりじゃ。
歩く道とてまだ湿っぽいところもあったが、泥濘がそうそう無かったからの。
この田野の景色とて、街にあっては望めない・・・。良いー景色じゃ」
今日の引率者、曽生と明卿の交わす言葉を聞きながら、皆が、改めて周囲を見渡した。
大きな石に腰を下ろした珉治が煙草を手にすると、好きな者は立ったままにも揃って煙草を吸い出した。
そういえばここまでの途中、誰も煙草を吸う者がいなかったのが不思議だ。駒場までは後一息。その言葉がそうさせたのか。吾もまた一服、点けた。