赤坂御門の前に至った。半時(約一時間)は歩いたろうか。茶店に入った。途端に、腹も減った。

めし(・・)だ、めし(・・)だ、まずは朝()()だと声にする者も居る。また、先ほど休みたれば、まだ休むには早い、このまま先に進みますという者も居る。

 吾も士業もお茶だけにした。妻帯している者と、寄宿生活をしている者と、独り者の身、それぞれの今の身の上が知れるような気もした。年齢(とし)も想像がつくか・・・。

 士業が、しきりに茶店の外を伺う。

「どうした?、何ぞあると・・・?」

「全く・・。どうしたことか。はい。皆が休んでいるときに、先に行け、御門前に握り飯を売っている店がある。その店で皆の分の弁当を買うようにと指図したのです。

 曽生殿、明卿殿とも予め打ち合わせてあることなれば、弁当を買う手はずになっているのですが・・・」

 書生の姿が見えないと心配する。

(夢遊西郊記には、ここでもその後も下僕とある。しかし、御楽園に入るときに下僕は医学医術を学ぶ書生であると著わす)

それを耳にした曽生が言う。

「弁当が無ければこの先、皆がひもじい思いをする、困ります。

 暫く待ちましょう。弁当を見れば安心もできます。待ちましょう」

(夢遊西郊記には、「先行者既過六(せんこうするものは、すでにろく、)七里(ななりさき)久不可滞手(ここにひさしくとどまることは)(できない)」と有る。しかし、当時も今も、実際は赤坂御門前から次の青山百人街(現、青山三丁目)までは三キロ弱である)

 明卿が、少しばかり笑いながらだった。

「何、無ければまたこの先の何処ぞで手配すれば良い」

 顔も細ければ身体も細い、小さいが鷹揚(おうよう)に構えて語る。吾の明卿の好きなところだ。

 結局、暫くに待っても書生の姿が見えない。茶店の者に書生の姿形(なり)を告げ、吾らが早く来るように言っていたと言伝(ことづて)を頼んだ。

 道々、目を先にやったが、先に行った者達の背中が見えない。

 また、行きかう人にも道沿いの店にも書生の姿形(なり)を教えて、吾らが早くに来るようにと言っていたと頼みもした。

 一同ゆっくりと歩を進め、青山百人街に至って書生が追いついた。良かった、良かったという者もおる。

見れば彼の背中の頭陀袋が膨らんでいた。

 それを目にした士業が問う。

「人数は其方を入れて十三人。手配が出来たと?」

「はい。十四人分にございます」

「十四人?」

「ハハハハハ、子謙殿の分もでござろう。良い、良い。皆、若い。途中に、腹が減ったと言い出す御仁も出よう。その時の分じゃ」

 明卿があっさりと解決策を口にした。

 

[付記]:昨日に、誤って「寛政三年・14」をダブって連日投稿した事を今頃になって気づきました。

     ご迷惑をおかけしてスミマセン。