棣棠亭の前に五人が屯していた。それぞれが湯飲みを手にしている。
朝早いとても商売だ。一杯幾らかの金を取られておろう。
新山健蔵は分かるが、他は知らぬ顔だ。
「こちらが、大平元安殿に井上健貞殿、日野十兵殿にございます」
士業の紹介を受けた。お三方とも頭を下げるのが一緒だ。
「今日一日、宜しくにな」
吾もまた頭を下げた。
「大槻先生にお会い出来て光栄です。蘭学階梯を筆写させていただきました」
大平殿だ。続いて、井上殿も言う。
「吾も筆写させていただきました、有難うございます」
日野(十)殿は、先日にやっと手にした、購入できたと胸を反らした。
如何様にあるとも、蘭学階梯を語るお三方に感謝だ。
「ありがとう。だがそれを生かしてこその報告を聞きたいものぞ。
今後の活躍を期待している」
「はい」
三人がそろって一緒に返事をした。
曽生の声が響いた。
「今日一日、道中を案内してくれる珉治殿にござる。
宜しく頼む」
大きな声で皆への紹介とともに、曽生の語尾は珉治という里人に向けられていた。
吉の持たしてくれた水筒(竹筒)で喉を潤した。
皆の動静を見計らって曽生が、出立しましょう、忘れ物の無いように、と声を大きくした。それが少しばかりの笑いを誘った。
棣棠亭の前を出た。まだ七つ(午前五時)に前だろうが周りはすっかりと明るい。
(後々、夢の中の物語に託して御薬園道中、見学の様子を書いた大槻玄沢の「夢遊西郊記」には、「銀街棣棠亭而相共発」とある)
歩きながらに皆の出立姿に目が行った。皆菅笠を被り、小袴に遠出の姿だ。
脚絆をしている者も居る。腰に竹筒、瓢箪の水筒に印籠。代わりの草鞋を腰に括り付けている者も居た。
吾と同じに懐に手布(手拭い)でも用意したか。吉の言葉を思い出した。
行きかう人の中に、吾らの列に手を合わせて見送る人もいる。吾等の大半が医者だが、剃り頭の吾ら一行を何処ぞの托鉢坊主と見間違っているようである。
(「夢遊西郊記」には、「猶太刹門徒僧、向晩諷経、呢 群行都門、衆亦共笑」とある。その大凡の意訳は、「行きかう人々は、あたかもユダヤの寺院の弟子僧達が群れを成して都に托鉢をしに行くようだと言い。笑っている、とある」。
この時代、江戸に住む者にユダヤを知る者はそうそうに居ない。大槻玄沢がユダヤ人、ユダヤ教の事を知り得ていたことに驚かざるを得ない。
また、夢の中での御薬園見学と設定したのは、この時代、容易に御薬園見学が許されるものではないこと、万が一にも世話をしてくれた方々に後々お咎めが無いようにと思慮したものであろうー筆者)
道を幸橋(別称、御成門橋)門外にとり、堀に沿って霊南坂を通り、溜池を右に見て行く。ここまで、とうとう子謙の姿を見ることが出来なかった。日枝神社の森が視界に入って来た。山王街とあれば子謙の所に寄らずばなるまい。
子謙の住まいを知るとて、曽生と明卿に任せた。吾も士業も他の者も道端沿いに一休みだ。
青空だがまだ暑くなるには早い。澄み切った空気が美味しい。
暫くして姿を見せた明卿が、離れた所から首を横に振った。
側に来た曽生が言う。
「どうにもこうにも、前夜から持病が起こって今朝に起きることも出来ない、済まぬと言うことでした」
病では致し方が無い。歩くことも出来ない者に歩け歩けと言うことも出来まい。曽生の報告を皆が耳にした。
「茶店も近いが、二人共しばし休め。喉を潤した方が良かろう」
(字に「子謙」と名乗る当時の蘭学者、天真楼関係で人物を探したが不明であるー筆者)