この雨の中、曽生にも明卿にもどう連絡を取ろうかと思案していると、昼八つ(午後二時)前に明卿が来た。
門口に入る早々の言葉だった。
「中止じゃ。中止、中止。明日は中止じゃ。
先に曽生とも話してきたが、五月も朔日(陰暦)に日延べする。
此度の機会を逃しては二度と見学はできまいて、彼と打ち合わせをしてきた。
曽生が御薬園に使いの者を走らせた。一方で、その曽生自身が縁故にある方に再度のお願いに行くことにしてきた。
何が何でも朔日に出かける算段にしておかれよ」
見れば袴の裾が濡れている。いつもの着流しの姿ではなかった。履物とて高下駄だ。合羽と傘から雫が滴る。
細面の上に色白の顔は、その容貌とは正反対に強い口調だ。彼の意気込みを感じる。吾とてもこの機会を逃したくないと考えていたから即賛成だ。
「おう。そのつもりで居よう。折角の機会を逃したくないでな。
先ずは上がられよ」
部屋に案内して、吉にお茶を頼んだ。
「吾の方にも相談したい事があっての。
実は吾の漢学の師が是非にお供したい、一緒に見学をしたいと言うてな。それが、許されることなのか如何か?」
「ハハハハハ。漢学の師でそのような御仁がおると?。
子煥(玄沢)が言うことなれば、相談も何もなかろう。
一人ぐらい増えても何とかなろう」
吉が二つの湯飲みを置いて去った。明卿の目がいつもより吉の後姿を追った。
「して、その御仁の年齢は幾つになる?・・・。
其方の漢学の師とあれば五十の坂を超えていると?、足の方は大丈夫か?。
道中が長いでな」
「いや。吾よりも年下じゃ。二十も六、七(歳)にある。普段はどのようにあるか知り得ぬが、一緒に行く足には差し障りが無かろう。
先生が近頃、良く口にする頼春水殿と親しい関係にある新山健蔵と申す御仁じゃ」
(頼春水遺稿集には、若い新山健蔵が来たとその名が度々に出てくる)
「皆揃って銀街から出立する予定だが、士業殿が、其方の所が銀街に近くもあれば先にここに寄ると申しておった。
先生もまた、それが良い。これからは玄沢の所(芝蘭堂)を多くの人に知って貰わねばと話てござった。
参加する者の中でも、(天真)楼に通っている何人かはこの家に先に集まろう」
「分かった。それで良い、支障はござらぬ」
応えながら、側に在れば陽助もまた一緒に見学に連れて行くのにと思う。