「それでございます。御薬園に入るにも皆が一緒でなければと思案し、何処ぞに参集して皆が一緒に出掛けるが良いと明卿と打ち合わせてございます。
皆が知っている所とて、集まる所は銀街(銀座)の棣棠亭(棣棠はすももの一種)と一応決めております。先生の所でもそのようにお話させていただいております」
「うん。士業(伯元)殿は何か言っておったかの?」
「はい。集まることに異議はござりませなんだが、書生を一人同行させて欲しいと申し出がございました。
道中が長くなるから弁当の手配が必要になる。これも修行のうち。書生に皆の弁当の持ち運びをしてもらおう、彼も見学させてほしいとのご提案がございました」
その言葉に、うろ覚えの書生を思いもした。弁当の手配にかこつけた士業の書生を思う気持ちが読み取れた。
曽生が話を続けた。
「了解もしました。吾もまた、医学、本草を学び始めたばかりの山田という者を連れて行く予定でおります。
また、道案内は銀街の郷人(里人)、珉治という者にお願いしてございます。
行き(往路)は銀街から出立して幸橋(さいわいばしとも言う。増上寺に至る道筋で別名、御成門橋)、そこから霊南坂(現、港区赤坂一丁目、嶺南和尚に由来する坂)、溜池、赤坂御門(現、赤坂見附駅側、港区赤坂三丁目)を通って青山百人街(現、表参道駅周辺。港区北青山三丁目)に至ります。
ご存知の一関侯下屋敷(青山百人街のうち)前を通って宮益坂(現、渋谷区青山通リの坂)を下り、道玄坂(現、渋谷区渋谷駅ハチ公前から目黒区方面に向かう坂)を上って駒場の御薬園に至る道でございます。
帰りはその道を戻る算段にて、玄白先生のおっしゃる通り往還八里(凡そ三十二キロ)程ございます。
一日の行程としてはまずまずの所かと思います」
「うん。坂の有る無しがどれ程か分からぬが難儀な距離ではなさそうだな。
このような機会はそうそうに有るものでは無い」
「はい。御薬園にもござれば将軍様のお鷹狩の場ともお聞きしてございます。
許可なく足を踏み入れることの出来ない所なればこの機会を逃してはならぬと思うております。
吾らに関心があるのはそこにある草木の数々、種類、草木の持つ効能でございます。茜草(止血・消炎、婦人の病に効く)に夏枯草(利尿を促す)、半夏(嘔吐を抑える)、黄檗(痛み止め)、麦門冬(心臓の病に効く)、桂皮(胃に良い)などの薬草に、御種ニンジンとも言われる朝鮮人参(万能薬)が栽培されているところを見られるとか。
唐、西洋の珍しい草木もあるとお聞きしておりますれば、今から胸がワクワクしてございます」
「同行する者は如何許りか。何人、誰ぞ?」
「はい。予定にある者は、吾(曽占春)に明卿(宇田川玄随)、伯元(士業)殿、子謙(詳細不明)、大槻(玄沢)様に、今に江戸に居る、(天真)楼に出入りしている北條英次郎、大平元安、竹内吉壽、井上健貞、日野十兵殿にございます」
曽生が字で言うは良く知る者、名を言うはそれほどに親しい間柄で無いのだろう。それに山田なる者に士業の所の書生、合わせて十二人か。
宜しく頼むと言う吾の言葉を受けて、夜も遅ければと彼はお茶を口にしただけで吾が家を後にした。
吉の淹れてくれたお茶一杯で良かったかなと思いながらも、吉にもう一杯を頼んで机に向かった。
いつもの通り、先に寝るが良いと伝えたが、吉の顔はまた細くなったようにも見える。ここ二、三日、不調を訴える吉の体調が心配だ。