「大坂、あるいは京から吉報を待つにも、誰ぞ大坂や京に知る人がござるかの?。

居たとして、弟御がどのような姿形(すがたかたち)に在るかご存じないゆえ、それを知らせておく必要もござろう。

所持品等で分かる物があれば、それもまた教えた方が良い」

「それはまた、どのような(ほう)(方法)・・・」

「尋ね人になるかの?、人相書となろう」

「人相書?」

「依頼の状(手紙)と人相を示す物が届けば、受け取った方は大体に事情を察する。

 出奔が御上の表沙汰にならぬよう気を回すというもの。

 その宛先は、其方(そなた)が良く知る人、信頼できる人物に限った方が良い」

「大坂には(吾が)長崎に行く途中に暫く滞在した。懇意になった知人がいる。

 また、版元の須原屋とて同じだ。この江戸にも大坂にも交際を良くしている者がおる」

 大坂の友人、知人を頭に浮かべながら、木村兼葭堂が今に大坂に居ないことが惜しくも思われた。

「其方が親しくしておられる朽木侯(朽木昌綱)にもこのことをお話して宜しいか。先生(玄白)を通じてだが・・・。

 侯なれば、福知山藩は京にも大坂にも近い。藩士の類族の誰かがきっと京や大坂に(たな)を持つ者とて居よう。それが、弟御探しにお役に立てるやもしれん」

 思わず明卿の手を握った。

「ありがとう。忠告を肝に銘じ、今夜にも人相書を認めてみる。

 書き終えればまたに見ても貰おう。」

 後で、吾の処方した薬でも届けようかと冗談交じりに笑いながら言う明卿に、吾とて医者ぞと真面目(まじめ)に答えた。応えていながら、心にゆとりのない己にハッとした。

 明卿はお茶を口にしながらも、山東京伝が五十日の手鎖、自宅蟄居の処罰を受けた。耕書堂(版元)の蔦屋重三郎が今にお白洲だ、罪人扱いだという情報を残して帰った。

 

 早速に文机(つくえ)に向かった。まずは、パッと見たときの風貌からか。お役人様が張り出す高札や番所の人相書を頭に描いた。

陽助は犯罪者にあらず。そう思うと、明卿の忠告のままに従って良い物かと気の迷いが出る。書き終えたら頼むにも宛先は慎重に選べよ、も思い出される。

「お茶をお持ちしました。

 淹れ直さねばとて来ましたれば、途中に(お会いした)宇田川様がお帰りになられると・・、

如何(どう)にかなさいましたか、それで宜しかったのでしょうか」

「たまたまに(明卿から)陽助を探す手がかりの指導を受けた。人相書きだ。

それを大坂の知人宛に送るつもりだ」

「えっ、人相書きでございますか?、・・・」

「母上には言うな。余計に心配もしよう。

 須原屋と今日に会う予定としていたが取り()める。出かけぬ」

 襖戸を閉める吉を見送った。()もまた(なん)ぞ気にしていたのか後ろ姿が思いの外、痩せて見えた。

まだ時刻は昼四つ(午前十時)も前だろう。()との少しばかりの会話でかえって決心がついた。

書こう。