事情を知った母上は吾に背を向けて黙りこくったままだ。この姿勢でもう二刻(約四時間)にもなるのだと吉が告げる。
もう夜九つ(午前零時)にもなる。帰って来るはずもないと思いながらも、しばし、母上も吾も吉も無言のままに待った。
吾が文を先に手にしておれば、陽助(玄良)はしばらく(天真)楼の方に泊りがけで何やら仕事になると母上を誤魔化すことも出来たろうにと思いもする。
母上をなだめすかして、吉も吾も床に就いたのは明け方にもなった。吉と吾との間に眠る茂槇の穏やかな寝顔が救いだ。
横になって天井を見ながら、凡そ一カ月前、吾と陽助が対座した時のことを思い返した。 出奔する気配は感じられなかった。あの時、戯作の世界を目指したい、物書をどうしてもというなら森島殿に紹介しても良いのだが・・・と思った。しかし。今のご時世では・・・。
ふと、その先を思い出した。「食べるにも着る物にも困らぬ。今の生活があるは誰のおかげぞ」、あの日、吾が最後に口にした言葉を思い出した。気になりだして眠れもしない。
今日から弥生だ。記すべきか否か迷いもあったけど、官途要録に弟、陽助、二月二十九日出奔と認めた。
誰にも相談できずに三日たった。楼には体調を崩してここ、二、三日、玄良(陽助のこと)はお休みを頂くと使いの者を走らせた。
そうしたばかりに、珍しくも朝から明卿(宇田川玄随の字)が顔を出した。
「弟御の体調が悪いと聞いての、来てみた。如何した?、
うん、其方の顔色も悪いな、流行り病(風邪)か?」
まじまじと吾の顔を覗き込んだが、今日の明卿こそ一層白くも見える。
細面の顔のうえに色白、紅をさした様な唇に東海(玄随の号)夫人とあだ名される理由が分かろうというものだ。几帳面な性格であることは吾が良くに知っている。
貴奴ならばと、話す気にもなった。
「弟が他国に出奔した」
「えっ。出奔?、弟御の?」
「うん。置き文があった。先生にも士業殿にも教えを頂いている身よ。玄良という」
「それは知っておる。これまでにも(天真)楼でも先生の所でも何度か見かけておる、声を掛けてもいる。
何があった?。(出奔の)理由をお分かりか?」
「凡そ一月前、医業医術よりも他に学びたい、進みたい道があると語り、医学に身が入らないようなことを言っていた」
「出奔した先に心当たりはあると?」
「浄瑠璃、戯作等の物書きになりたいと近松門左を口にして居れば、出奔先は京、大阪との考えが行く。
恐らく、大坂であろう。なれど(通行)手形無くして箱根(山)さえも通れないだろう・・・、行く先々をどうした物か・・・。出奔して四日目になる」
「その話だと、大坂に向かったは間違いなかろう。
何、手形が無くとも大坂に行く方法は幾らでもある。
品川か横浜かはたまた浦安か、その辺りの漁師等の都合がつけば船底に隠れて、あるいは漁師に化けて四日、五日もすれば大坂じゃろ。
船賃を相当に吹っ掛けられるがその手がある。一番考えられる手(手段)じゃ」
明卿から関所破りの手口を聞くとは思いもしなかった。
妙に感心しながら、無事に大坂港に着いてくれ、無事に陸に上がってくれと祈る気にもなった。
母上には消息を掴めたらご報告しますと言ってあるが、確かな証拠もなく大坂に行ったとは言えない。
明卿の推測を聞いても、故郷が恋しくなって一関に向かったのだろう、そのうち田舎も本人か親戚から連絡がありましょうと、嘘も方便で暫くはいままで通り吉報を待つようにと言うしかない。
陽助の事は数日で片付くようなことではなくなった。明卿に話もしたのだ。改めて先生の所にも正直に現状を伝えるしかあるまい。
思案していると、明卿だ。