「母上にも兄上にもご心配をおかけして申し訳ございません。
なれど、吾は吾なりに自分の道を歩こうと思ってございます。
今、何人かの仲間と自分が書いた洒落本や戯作の草稿を持ち寄って批評、批判をしあってございます」
「何。既に書いたものがあると?。それを見せてはくれぬか。
洒落本も戯作も、また浄瑠璃等も、文を作る才能と周りに指導してくれる人がおってこそ良き作品になる。
版元があれを書いてくれこれを書いてくれと今では森嶋殿に依頼するが、森嶋殿はお亡くなりになった平賀源内先生に心から師事しておった。教えて貰っていたのだ。
物書きを以って生業が立つようにして行くのは、コツコツと医業医術、本草学を学んで独立するよりも難しき事ぞ」
「はい。覚悟はしております」
「其方の覚悟とはどれほどのものか・・・。
聞き知っておろう。もう一年近くも前になるか。去年(寛政二年)の五月に出された(幕府の)取り締まり令は、猥らなる本、異説を取り混ぜ物語を作る者は厳重に処罰すると言っておる。
これまでにも黄表紙や狂歌、洒落本、錦絵などの作者、版元はかなりやり玉にされておる。
今に市民にもお武家様にも人気のあの山東京伝(浮世絵師、戯作者)や太田南畝(文人、狂歌師)、喜多川歌麿(浮世絵師)に、版元耕書堂の蔦屋重三郎殿さえ何やかやとお咎めを喰らっておる。
其方の書いた物がどれほどのものか知らぬが、其方の望みに賛成しかねる。
ましてや森嶋殿に話も持って行けぬ、紹介も出来ぬ」
「・・・・」
「母上も其方の先々を心配しておる。
医業医術に本草を学ぶ環境は既に整っているではないか。
贅沢は出来ぬが医者とあれば修行を積み、研鑽してゆけば食べるにも着る物にも困らぬ。世間様から感謝されもする。
胸を張れる仕事ぞ」
「・・・・」
沈黙のままの玄良だ。段々と腹も立っても来た。
「食べるに困らず、良い物着て、今の生活があるは誰のおかげぞ。
よくよくに考えて道を決めるが良い!」
少しばかり怒気になった。
声を荒げず、やっとに席を立った。これ以上に話しても平行線のままと思った。
二人分の酒とツマミなのに、くどくど言って吾一人飲むのも味気ない。熱燗は既にぬる燗だ。玄良は足を崩さなかった。
如何すればいい。報告すれば事情を知った母上は泣くだけだ。白髪の混じる頭がまた一層白くなるだろう。
吾と弟で母上の白髪が増えるのを助長するようなものだ。
暖のない己の部屋の空気が余計に寒く感じる。己の今の顔はどんな顔をしているのだろう。
何時もの文机の前に座ったが、明かりをつける気も失せた。
二 弟、陽助の出奔
吉は夕刻の家の中での出来事を語った。
「陽様(陽助、玄良)はいつもの時よりも早めに楼(天真楼)からお戻りになりました。珍しい事もあるなと思いました。
部屋に居るハズなのに、夕食の仕度が出来たからとお声をかけても返事がございませんでした」
部屋の中に姿が無かった。持ち物はいつもの通りに整理整頓されていた。帰ってきたはずなのに、何時にまた出かけたのか分からない。書道具箱の側に薄い封書があったと言う。
「主人は今日には帰りが遅くなると言っていましたから先に頂きましょう、とお義母様をお誘いしました。
お義母様は、陽助殿は?と問い、一度お帰りになったのですけれどまたお出かけになられたようです、不在だとお応えしました」
その後に、文机の上に封書があったと聞いて母上は気になったらしい。封書には宛先が無かったと言うと、なおのこと気にしたと言う。
開けて良い物なのかどうか迷ったけど、お義母様が側から(封書を)明けて見よと言った。それで開けてみましたと語る。
吾が往診先から帰宅したのは夜四つ(午後十時)。他国に出るとの書置きだ。封書を手にして唖然としもした。