第十二章 寛政三年
一 兄弟で語る
寛政三年(一七九一年)。今年はどんな年になるかと、例年、年の始めに思うようになったのはいつ頃からだろう。
身の回りも世間も大きくに変わり、歳月の過ぎるばかりが殊更に速く思われる。
茂楨の覚えたばかりに行う仕草や背丈を見ればなおのことだ。
「陽助(玄良)はどうした?」
「昨夜に遅かれば、今朝は要らぬと仰せでした」
「それはいかん。朝に一家がこのような膳を前に揃って座れるは有り難き事ぞ。
食物の神仏に感謝せねばの。
帰りが遅くともこの時には顔を揃えねば・・。起こしてまいれ」
「そう思いもして、何度かお声をお掛けしたのですが・・・」
吉が戸惑いを見せる。
「吾が起こして来よう」
「無理に起こさでも良がっぺ(良いでしょう)。・・。玄良も頑張ってるべ」
「母上。寝るのが遅くになっても、吾とてこのように毎朝に皆の前に座って御座る」
「其方はこの家の主人だべ。
主人が座らねば吾も使用人も箸を持てぬでの。
詳しくは分からねども、玄良も其方と同様に頑張ってるべ」
「何を頑張っていると仰せですか。
何処ぞでの(医学の)学びに遅くなっているとしても、この頃は酒が多すぎます。
母上も吉も玄良が毎晩のように酔って帰るのを隠しておられる。
朝に座れば、残る酒の匂いに吾が気づかぬとお思いですか」
言いながら、年の暮れの琉球正使一行を見てきた後の玄良の言葉が思い出された。
「席を外す(し)たは今日が初めてぞ。
今日の所は母に免ず(じて)許してくれん(ぬ)かの」
母上のお顔も吉の顔も見た。吉は黙ったまま顎を引いた。
後で玄良の部屋を覗いてみよう。そう思い直して箸を手にした。離れた席のお富等もまたやっとに箸を手にした。
玄良と話さねば、玄良の気持も聞かねばと思いながらに時は過ぎた。
年末はことの外に忙しかった。蘭学階梯を書いた人、蘭方医とて自ら診療を頼みに来る御仁もいるけど、流行医師の先生を通じて大店の主人に旗本の御仁等々診療を頼まれる先が増えた。
その忙しさを引きずって一月も過ぎた。いつもの年通りに先生、良沢先生、工藤様のところへの新年のご挨拶に加え、(瓊浦行きに同行した)芝の日野屋藤七殿と、彼をして知り得た薬種問屋に薬屋、本町(日本橋本町)で書道具一切を商う多四郎殿の所、また、須原屋に群玉堂、西村屋、耕書堂など年始回りを欠かせぬ先も増えた。
傍ら、通い来る塾生の新年の挨拶を受ける身にもなった。昼は塾の講義に立ち、夜は翻訳の仕事にと明け暮れもした一月だった。
母上からの忠告もあったのだろう、凡そこの二月、酒の匂いをさせながらも朝に食事の席を外す玄良ではなかった。
朝餉の後の湯飲みを手にしながらに、言った。
「今日から暦の上は如月(二月)。
江戸でもこの正月(旧正月)を祝って田舎同様に餅飾りを作り飾る家とてある。
(往診に)出かけた先でそれを目にすると田舎に在ったころを思いだしもします。
されど、歳月は人を待たずと良く言ったもので、月日の経つのは早うございますな」
吾の言葉に、母上も吉も頷く。離れて、お富もお京等も首を縦にしている。