「如何じゃ。医学医術の勉強の方は進んで(い)るか?」
「はい。年が明けるともう丸三年になります。
玄白先生や伯元先生等のお陰で大分に医術のことも本草のことも身に着いたと思います。
なれど、この先、このままで良いのか、他にすべきことがあるのではないかと正直思うこともございます」
「うん?。内治、外治、眼科、小児、産科など、己のこれぞと思う医学医術の道を選ぶが良い。
西洋の医学書が如何にその道の専門家が必要かを教えておる。
漢方を学んでおる時には専門分野などという考えは無かった事ぞ。
年をとれば誰とても耳が遠くなった、目が霞む、物が良く見えなくなったとなる。東海(衣関甫軒の号)殿が眼科を選んだのも分かろうというもの。
翻訳が容易で無いゆえに、己の進みたい(専門の)道を絞り込んで(西洋の)医学書に当たるが良い」
「はい。
なれど、吾が他にすべきことがあるのではないかと思案するのは医学医術以外のことにございます。
自分のやりたいこと、進むべき道は医学にあらずと思いもするのです」
「なに?、!・・・」
「今に、浄瑠璃、歌舞伎、戯作、狂歌、そちらの道に大いに関心がございます」
「それは、・・・」
「はい。田舎に在るときは思いもしなかったことにございます。
されど、この江戸に来て世間を知るうちに、してみたい、やってみたい、職にも色々あるものだと知りました。
医学医術の道を選び、進む。父上や兄上を尊敬してもございますが、吾は今に違う道も考えてございます」
驚きと共に一度収まった怒りが、今度は玄良に向かってこみ上げてきた。腹立たしくなってきた。己の気持ちを出さずに聞いた。
「何を・・、今に考えていると」
「はい。自分でもまだ分かりません。はっきりと言えません。
なれど、浄瑠璃、戯作等に関心がございます。
森島様(森嶋中良)のような物書きが出来まいか、近松門左(近松門左衛門)のような物語を書くことが出来まいか。
そのような生活で日を送れはしないかと思案してもおります」
言って聞かせたいこともある。だけど口にしなかった。己の怒る心を我慢した。
「酒の力を借りてそのようなことを口にしてものう・・・。
日を改めて其方の話も聞こう。今日は寝るが良い」
これ以上に聞きもすれば吾の考えを言い、大声にもなる、喧嘩腰にもなる。母上も吉も子も使用人達もとうに寝静まっている。今を考えて、寝るが良いと促した。
玄良は吾の顔を見直して、そして、沈黙のまま背中を見せた。
森島殿が、「琉球談」を刊行したとて吾に送ってきたのは十月も初めだった。須原屋(版元、申椒堂。須原屋市兵衛)が、琉球正使御一行の参府に合わせてとにもかくにも琉球のことを書いてくれと言ってきたので書いてみたと断りの状が付いていた。
序文を達殿(前野達、前野良沢の長男、良庵)が書いているとは思ってもいなかった。
「琉球談」は、琉球は薩摩の南の小島であるとし、薩摩に属することになったその謂れを記していた。
また、住む住人の服装や使用している日用品等を絵図で紹介してある。
興味が大いにあっただけに、行列を見逃したのは残念だ。
[付記]:次回から、第十二章 寛政3年 になります。多くの方にお読みいただき感謝申し上げます。引き続き宜しくお願い致します。
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