五 不幸も幸も
ア 才助を見直した
お茶を持て、腹が空いたがゆえに何ぞ食べる物はないかと横柄な口を利く。
大層な態度だと相も変わらず吾家の女子どもに評判が良くない才助だ。
だけど、芝蘭堂(三十間堀)に来てからというもの、遅刻も無ければ吾との約束をほかしたこともない。
そんな才助が珍しく来る時刻にも顔を見せない。
一昨日(八月二十日)までの雨風に何ぞ有ったかと気になるのは塾生が少ないことばかりではない、吾とて才助に好を感じているからだ。
表に出て、久しぶりになる夏の空を見上げた。
「いやー、あちこち水が残っていて、泥濘を避けて歩くだけでも難儀に御座いました。えらい目にあいました。
大変なことになっています」
横から覚えのある才助の声だ。
「雨風だけならまだしも、吾の住む深川一帯は海に近いとて押し寄せる大波に呑まれてみるも無残な有様です。
家も人も波に攫われてございます。
一夜明けたら有ったところに家が無く、残されていたのはごみの山です」
「この当たりは大丈夫だったが・・・。
其方の所は深川ゆえ心配しておった」
「はい。周りの塀がお屋敷(土浦藩、上屋敷)を守ってくれました。
建物は凛としておりますけども、どうにもこうにも敷地内に残されたゴミにこの天気で朝から塩気混じりの悪臭がプンプンです。
お屋敷の有る扇橋一帯は雨風に海水も押し寄せて大洪水でした。木場の材木とて海に流れ出てその被害は相当なものに成るでしょう。
ただ、ただ、茫然と立ち尽くしている人、しゃがみこんで立ち上がれない、泣いている人、身内を探し回る人、いやはやそれらの人を何人と見たことか。
自然の力という物は、実に恐ろしいばかりです。
泥濘もゴミも避けてきましたけど、嘆き悲しむ人を横に見て塾に行くだけの身で良いのかと思いましたよ」
才助の今の思いが伝わってくる。吾が使用人の女子どもの評価を鵜呑みにしてはならぬ。才助はまともな神経の持ち主だなと、今更ながらに気づきもした。
イ 有馬文仲の訃報
今年は良い天気が続いたればと国許から豊作の便りが届く。
自ずと頬が緩むと言うものだ。田舎の神無月(十月)の青空を思い描いた。田舎の匂いがしないかと、状(手紙)の包に鼻を近づけても見る。
それから三日、何と嘆けばいい。こんなことってあるのかと吾が耳を疑った。
そんな馬鹿な、信じられぬ。
「侯の、早くに知らせよとの命でした。
悪い病だったようです。最後は穏やかなお顔でした」
この秋は少しばかり流行り病(風邪)の時期が早くに訪れたかと思っていたが、まさか・・・。ここ三日、音沙汰もなく姿を見せなかった有馬が二十日に亡くなっていたと・・、信じられるか。嘘だろ。
まだ四十(歳)を過ぎたばかりではないか。其方との問答集(磐水夜話、後の蘭説辨惑)の発刊はまだぞ。残っている仕事はまだまだ一杯あるではないか。
翻訳の事も塾の経営の事もまだまだ手伝ってもらわねば、相談相手にもなってもらわねば。其方が居なくてどうする。芝蘭堂の大番頭が居なくなって如何する。
いずれ有馬家(福知山藩医家)を継ぐと言っていたではないか。有馬よ、如何した、如何した。何故にそんなことにる・・・。
身支度を整えると、福知山藩上屋敷(現、千代田区日比谷公園内)に急いだ。
途中にも有馬との諸々の事が思いだされる。まだ信じられない。
御屋敷の中は静だ。こんなにも広かったか。こんなにも静だったかと改めて思う。
着いた途端、涙が頬を伝う。涙が溢れて止まらない。
あの時に連絡に来た、有馬の同僚だと言う藩医の名さえも覚えがない。
朽木候の覚えの良かった文仲だ。吾の身を預ける重要な人物を失ったよと候の嘆きも一塩だった。