「天明の世から見れば米も野菜の(たぐい)も大分に出回るようになって世の中がやっとに明るくも見える。

なれど、田沼様の代から続く倹約の令は変わらぬ。

 越中侯(白河候、松平定信)になって倹約、奢侈(しゃし)禁止(きんし)の考え(倹約令)が一層厳しくなったように思う。

浮世絵を検閲する改印制度とかが出来て出版の禁令が出るほどじゃ。

書籍の検閲さえも何時に強まるかと思わないでもない。

 今に、森嶋殿(森嶋中良)が須原屋(版元申椒堂(しんしょうどう)のこと、須原屋市兵衛)の依頼で琉球のあれこれを書いてると聞いておるが、何事もなく発刊されれば良いがのう。

 この秋に琉球正使一行が江戸に上るとて、その前宣伝にも商売にもなると須原屋の考えであろうが・・・」

「えっ、琉球正使の参府?」

「うん。この秋、霜月(十一月)になるかの。来るらしい」

「それは初耳にございます。

そうそう滅多にあることで無ければ、是非に見ておきたいもので・・」

「去年の暮れに老中松平伊豆守様(松平伊豆守信明、三河吉田藩、藩主)が琉球人参府御用を命じられてこの一年、薩摩藩と連絡を取りながら受け入れの準備をしてきたと聞いておる。

(はやし)(ふく)(さい)等が編集した幕府の通航一覧巻之十七に琉球国部の記録がある)

 将軍様(徳川家斉)の御台所(正室)を出したとて薩摩(藩)は今に鼻高々。やることなすことに抜け目がない。

重豪(しげひで)侯(島津重豪)が隠居した後も、したたかじゃ。

 薩摩(藩)の持つ物とて変った物が多いとも聞く。密輸は御法度じゃ。

 されど、異国からの物があれこれ日本(ひのもと)に教えて御座ろう。

 その益こそ尊重すべきじゃ。取り締まりも如何ほどにかと思いもする」

「はい。姿形(すがたかたち)は絵図でも分かりますけど、縦横(たてよこ)、奥行き、重さなどは実物を手にしなければ分からない。

その造り方などを学にも翻訳するにも、実物、異国の物が吾等に教えるところは多くに御座います」

「出島の船の出入りは和蘭一艘(おらんだいっそう)唐船七艘(からぶねななそう)と狭められた。

 出島の商館長の江戸参府も四年に一度で良いと改められた。

 貿易半減令とか言うらしいが、貴重な異国の教えを失うことは勿体無いことよ。

 世の中の動きを制限しすぎて、やっとに明るくなり始めた世の中がかえって住みにくくなりはしないかと為政者にあらねど余計な心配もする。

 良いことと言えばまだ大きな声では言えぬがの。栗山殿(柴野栗山)が間もなくに湯島聖堂の最高責任者になるとお聞きしておる」

 政治に(うと)いと言いながら、以前にも増して御政道がらみの話をする先生だ。早耳に一層磨きがかかったように思える。

 琉球正使の江戸上り(予定)に驚きもしたけど、京から呼ばれた栗山先生が昌平黌(しょうへいこう)のてっぺんになるとは。

幕府の思いが朱子学優先にあったと言うことなのだろう。

 夏の陽射しが強い。額の汗を拭いながら帰り道を急いだ。