四 畹港漫録
七月。早や盛夏の訪れか。天明の世と違って夏が夏らしくあれば田畑も緑々となるだろう。
漸くに江戸の世情も落ち着きを取り戻しつつある。
この江戸で見るお天道様が、田舎でも諸国でもそうあれと念じながらに浜町に向かった。
「これが此度、吾にとって発刊する初の随筆と言えるものかと思います。
過去に折々に調べた物、感じたもの等について気ままに書き記しておりますれば随筆などと呼べる物かどうか。
また、お目にかけるのも如何かとも思いましたが・・・。
発刊の話もあればに、先に御目通しをとてその草稿を持参しました。
お目通し頂ければ幸いです」
「大槻玄沢の名が世に知れて、其方の書いた物なれば何でも売れると版元の思惑にござろう。気を付けねばの。
其方の師匠(一関藩二代目、建部清庵、由正)が口は災いのもと、口を慎め口を慎めとかつて吾に書き寄こしたように、浮いた気にあれば兎角に足元を救われるものじゃ。
草稿の良し悪しを第三者に見てもらうが良い。
事前に誰かの意見、忠告を聞きおれば間違いとて無かろう」
「はい。ご忠告、有難く存じます」
「内容は、どんなものかの?」
「吸毒石(膿吸石)の事から水戸藩の後楽園(小石川後楽園)に本草(薬草となる草木)を見に行った時のこと、瓊浦(長崎)に行った時のこと等を認めてございます。
どの様にまとめるのかは版元任せにもございます」
「版元任せは良し悪しじゃぞ。
編集の方法の良し悪しも気にした方が良い。
己の意図に沿わなんだら発刊も断るほどに強い意志を持たねば間違いが起こる」
「はい。肝に銘じます」
(九月、「吸毒石等」を内容として「畹港漫録引」巻一が発刊された。以後、数年に渡って第八巻まで続く。
主な内容は後楽園記等巻二、瓊浦偶筆、紀州浦蛮船漂着等巻三、蝦夷騒動記等巻四、夢遊西郊記、最上徳内書上ゲ草稿、痘瘡起源等巻五、寛政四年九月大黒屋光太夫等三人東蝦夷ヘ致着岸候一件、工藤万辛聞書等巻六、安永九庚子歳五月安房国千倉海嶠南京国船漂着船主書翰等巻七、与柴博士彦輔(柴野栗山)等巻八)