ウ 杉田玄白への報告

 さてには、次に先生の所だ。士業(伯元)も元気にしていよう。

 ターヘル・アナトミアの翻訳を始めたばかりだけど、その進み具合たるや報告出来るほどのものではない。

 お茶をお持ちしたのは、(せん)さんだった。

「早くに孫を望んでもいるが、こればっかりはのう。二人に頑張ってもらわねば・・」

 お扇殿が襖を閉めて出て行くと、先生のお言葉だった。

 先生の左に士業殿が苦笑いをしている。その士業殿が先に言った。

「アナトミアの翻訳の方はどのようになっていましょうか」

 問いは士業殿でも、回答は先生のお顔を拝見しながらと心得た。

「はい(ターヘル・)アナトミアの教えるところの各編各章立てに沿って、誰が何処を担当するか、誰が適任か、吾と主に吾が塾に学ぶ者達と話し合い、やっとに着手したばかりです。

 進めるに当たっては(くつわ)丸十字とか、かつて先生方が解体新書を現すに当たって採ったと言う手法を大いに参考にさせていただいております。

 されど、参加している者どもはそもそも和蘭語が分からぬ者達にございます。

 故に、かつてと同様に和蘭語の勉強も並行にございますれば、翻訳の進捗はまだ然程(さほど)のことにございません。

 吾がかつての前野良沢先生の役割を果たすことが出来ますれば、和蘭語の指導と翻訳の双方に当たっております。

 人体が如何なる構造に在るか、それぞれの器官が如何なる役割を果たしているか、幸いに(医者なれば)初歩的知識がある者達ですからそれだけでも大いに助かります。

 解体新書が大きな役割をしているのだと改めて思った次第でもございます。

 また、先生達が翻訳に当たっていた頃と大いに違って今に解剖が緩やかにもなっておりますれば、人体の構造、器官を実際に見ることが出来て大助かりです。

 士業殿にも(天真)楼に学ぶ何人かにもご協力を頂いております。めい)(けい)(宇田川玄随)や先生に紹介を頂きました堀内殿(堀内林哲)や宮崎殿(宮崎元長)等をも頼りにしております」

「今日を明日にと(翻訳)出来るものではないからのう。

一年二年そこらで進み具合を問うのも何だが・・・。

そうと分かっておっても致命の年(五十歳)を過ぎておれば余計に気が()いての・・・・。苦労掛けるの」

「とんでもございません。勿体(もったい)なきお言葉に御座います。

 吾にとって、誇れる翻訳仕事に御座います。

 原書の本文もさることながら、人体の構造、器官の意味するところ等をより知るには脚注に書き記されていることどもも大事、翻訳すべき必要があると知ったところでございます。

 脚注は治療の上でも欠くことが出来ない事と覚えて御座いますれば、それらの翻訳もまたしてまいりたいと考えております」

「確かに。あの時はそれをして来なんだ。

 五臓六腑の教えとどう違うのか。阿蘭陀の書の教える人体に間違いはないのか。それぞれの器官の役割は何ぞ?、病は何ぞ?、その治療の方法とて如何に・・、何と訳す、とばかりが頭にあった」

「大槻殿にお任せして(しば)し待つ。

 お義父(ちち)(うえ)には待つ修行の方が必要かもしれませんね」

「余計な戯言(ざれごと)を言うな」

 お二人の会話に、吾はすっかり親子の縁が出来ているなと思わされた。

杉田家は今年もまた安泰だ。

(後に大槻玄沢は官途要録等に、「原書を取り、反復玩味(がんみ)、審に正文を(かんが)え、次に脚注を訳す」。「様々な西洋並びに和漢の参考文献を読み、解剖を繰り返し行って実物を確かめながら重訂を進めた」と記録する)

 それからに蘭学階梯の再版が、この江戸で二つの版元から、また、同時に大阪の版元からも行われるとご報告した。