三 蘭学階梯再版の報告
ア 林子平の版木
もう、月も末になるかと思いながら工藤様宅を訪ねた。
正月以来かと見上げる空は五月晴れだ。そこここの木の枝は新芽を見せている。
小さな門の側に植えられてある桜の木はとうの昔に葉桜だ。生い茂っているとも言える。
「良くに来たな。久しぶりじゃの。息災にあったか?」
「はい、お陰様で家内も、母や子等も元気にしております。
工藤様もお変わりございませんか」
「うん。元気にしておる。妻も病が癒えての。娘の嫁入りとて今に何かと忙しくしておる。
女子は婚礼の支度とあれば余計に元気が出るらしい。
つね子(三女)が吾と同じ仲間、藩士加瀬氏に嫁ぐことになっての。
その準備に妻もあや子も忙しくしておる」
なれば、御祝儀を包まねばなるまい。それから後に、工藤様同様、北の海防の必要性を説く林子平殿の近況をお聞きして吾が耳を疑った。
「吾より確か四つ年下かな。
子平(林子平。仙台藩藩士)がの、老い先短いとて何が何でも己の書を今の世に問いたいと費用の支援を藩に願い出たらしい。
「海国兵談」と言ってな、吾が序文を書きもした。
されど、飢饉や一揆騒動の後を引く(吾が)藩だ。誰がどんなことで何と言って来ようと財政的な支援をと言えば難しかろう。
出版を支援してくれる版元も無いとて、子平は今に仙台に在って自ら版木を彫っておる」
「えっ?、版木をですか?」
その量たるや如何ほどになるのか分からぬ。しかし、お聞きして驚きもしたし唖然とした。翻訳しても書いても、吾とてままならぬは出版に係る費用だ。
そしてまたその後に更に気を引くお話もお聞きした。ボロボロの衣服に髭ボウボウの若者が子平殿を訪ねたのだと言う。若者は北方の海防を熱く論じて吾の考え如何にと林殿に問うたと語る。その一方で、世の中が変わる、武士の世が崩れると語ったと言うのだ。
今、諸国を漫遊し天皇陵を踏査しているとも語ったのだと言う。工藤様はその若者の名を蒲生君平と言った。
(この時、蒲生君平は二十三歳。尊王論者、海防論者。後に天皇陵の踏査をまとめた「山陵志」を残す。前方後円墳なる表記は彼の造語である)
また、幕府の許しも無く蝦夷地に渡ってアイヌ人と交流したとしてお縄になっていた(入牢していた)最上徳内殿が、一転して幕府の普請役下役に抜擢され蝦夷地に派遣されることになったと語る。
オロシアが南下してくる危険を知った白河侯(松平定信)が、自ら中止させた蝦夷地調査を再開し、北方重視の政策に変わったのだと言う。
北方の海防と、交易がもたらす幕府の利益を考えたらしいと工藤様だ。
吾が若ければのう・・との言葉に、工藤様の蝦夷地に係る未練が窺われた。
(この年の暮れ、実際に最上徳内は北海道に派遣された)
工藤様のお話を聞いていて、吾は蘭学階梯再版のご報告を口に出来なかった。小事に思えた。