二 寛政異学の禁

 五月。隅田川の河口、佃島の隣にある石川島に人足足場が設けられたとて遠目に見に行ってきた。

 火付盗賊改役にある長谷川宣以(はせがわのぶため)(長谷川平蔵)殿の提言で幕府直々の御普請とお聞きした。

 天明の打ちこわし騒ぎを大きくしたものに土地を離れた無宿者(むしゅくもの)が多く居た。その者等の生活が成りゆく道を整えねばまた騒ぎが起きる、騒ぎが大きくもなる。それがための対策が必要とて造作されたと聞く。

 良策に間違いなかろう。だが、そもそも為政者には土地を離れずとも無宿者にならずとも生活が成り立つ世を作ってもらいたいものだ。

 何処の藩とて財政は年貢米で支えられておろう。国の根本は 農にありの考えは如何(どう)した。商業発展の今の世を如何にすると言うのだ。

 

 二十四日に白河侯(松平定信、越中守)のお達しにより京極備前守様(丹後(たんごの)(くに)峰山藩(みねやまはん)第六代藩主。京極(きょうごく)高久(たかひさ))書付、異学の禁が発せられた(寛政異学の禁)。

 そしてまた、お上を(おも)(しろ)可笑(おか)しく揶揄(やゆ)したり批判する狂歌や、風紀を乱す世話物の黄表紙等の出版は(まか)りならぬとのお達しだ。

 昌平坂学問所(江戸の神田湯島、幕府の教育機関)においては儒学の中でも農業と、上下の関係の礼節、秩序を重んじる朱子学を正学として、古学や古文辞学を「風俗を乱すもの」として禁じるとある。瓦版屋の今日一番の情報だろう。

(古学の代表的人物に山鹿(やまが)素行(そこう)伊藤(いとう)(じん)(さい)。古文辞学の代表的人物に荻生徂徠(おぎゅうそらい)が居る)

 正直、驚いた。異学の禁は昌平坂(学問所)に限ってのものとお聞きしたが、諸藩が整え出した藩校もいずれ(おの)ずとそれに倣うようになるだろう。

 蘭学の普及に水を差すものだ。それで良いものか。

 吉宗公(徳川幕府八代将軍、徳川吉宗)が理念的な朱子学よりもと実学を重んじ、その上に立つ学問も奨励して来た、また世のその動きも認めて来た。それだけに此度の禁は単なる懐古調にならんか。

 儒教的な農本重視の考えで、世の人々が幸せにも豊かにも良い方に進むのか。

各界各層が今にお手本にしている蘭学の教えをどうしようと言うのだ。蘭学の行く末とても心配になる。

 先に、諸国各藩に飢饉の時に備えて米籾を(たくわ)えよ、囲い米(かこいまい)をせよと命令を発したのは良策だ、吾も納得できる。

田舎に在った時の清庵先生の教え(民間備荒録)を思い出しもした。(民間備荒録。農は天下の本なり、本固ければ国安し・・・)。

 なれど、参考にしていると聞く(吉宗公の)享保の改革の時からしたら世の中が大きく変わっているのだ。商業の一段の発達に、北方や南から異国の情報や物が流入し。諸国の市民の考えも価値の基準の物差しも大きく変わっているのだ。

 市民が目にも手にもする学問さえいろは(・・・)だけではなくなったのだ。

 先生同様に吾もまた世の中の立て直しを白河侯に期待しているだけに、奢侈(しゃし)禁止(きんし)倹約令(けんやくれい)の名のもとに世にも世界にも開かれ始めた庶民の目をふさぐ施策には賛成できない。