「そこで大切に思うところは、翻訳の進め方、やり方と、医学書の翻訳に当たっては医学医術の知識があることが前提になると考えが至ります。
改めて先生のお力添え、ご指導ご鞭撻を賜りたくお願いに来たところでございます」
「解体新書の改訂か・・・玄白も大いに気にしていたことなのだろう。
何せ、未だかつてないほどに世に和蘭本、異国の本が出回るようになったからの。
解体新書がどれほどに価値のある物か、世間、庶民が知るようになったからの。
なれど、御大名の目も庶民の目も初に世界に開かせたのはまぎれもなく解体新書ぞ。
長崎はともかく、少なくとも江戸、大阪、京都、陸奥に在る者に蘭学の大切なこと、異国に学ばねばとさせた最初のものはあの解体新書じゃ。
そして、今に其方の蘭学階梯じゃの。
其方がそのように決心したところなれば、応援せずばなるまい。
達(前野達、良庵)共々、力になろうて」
「ありがとうございます。心強い限りにございます」
平身低頭した。
「前に会わせたことがあったかの?
先日に高山彦九郎が来おっての、出入りがあるものの、今、何日かに泊まっておる。
(「高山仲縄遺墨」には寛政元年十月三日から十二月晦日まで泊とある)。
久し振りに達も交えて昨夜は大酒を飲んだ。
今日は二人で何処ぞに出かけておる。
彼の諸国漫遊の話と、武士に代わる世の中が必ず来る、いずれ文治政治が生まれるとの説に大いに気が引かれるところじゃ。
今のご時世だ。世間を憚れば大きな声では言えんがの。
また、諸藩が学塾を持つようになる。武士の子に限らず庶民の子等も一緒に学ぶ学塾が必ず出来る、諸藩が人材育成に力を得ざるを得ない世が来ると申しておったわ。
今に蘭学の世なれば、貴奴は玄白の事も甫周のことも平助のことも、仔細あって入牢しておった徳内(最上徳内)のことも、また其方の事も良くに知っておる」
そこここの木は色づいた葉をちらちらと落とし始めている。歩きながら、今に聞いてきたばかりの良沢先生のお言葉がよみがえる。
堀内、宮崎を江戸に寄越した上杉侯(米沢藩藩主。上杉治憲)はやっぱり大したものだ。工藤様が諸藩に学塾が出来る、庶民の子等も一緒に学ぶ時代が来ると言っていたのを思い出しもした。
良し、やるぞという気が殊更に湧いてくる。
そう言えば、以前にも良沢先生の講義の折に高山殿の名をお聴きしたなと思い出した。未だお会いしてはいないが、実際、どのような方かと話をしてみたくも思う。
四 天愚孔平
やっとに手にした。お聞きはしていたもののあちこちから引き合いがあって、また発刊した数が少ないとてなかなかに吾の手にまで回ってこなかった。
届いたばかりのその中身を拝見するや、吾の顔が紅潮するのも、また身体が熱くなるのも覚えた。
文机に積み重ねた書籍十七巻の量ではない。朽木侯の二十年余の研究の成果がまざまざとあり、これを労作と言わずして何と言おうか。
叙(序)には、天地の間に欧羅巴、亜細亜、阿弗利加、亜墨利加、日墨尾羅尓の五大州がある、我が邦は亜細亜の州の一つの国とある。
次に地球の紹介等とて「世界ハ其カタチ一ツノ鞠ノ如シ、太陽ヲ中心トシテコレヲ廻リタル、一轉スルヲ一昼夜トシテ三百六十轉スルヲ一歳トス・・」と続く(句点は筆者)。地球の大きささえも東西に長さを、南北に幅だと大きな数字を認めてある。
己が丸い地球の上に立っていると言うことを信じない者に、地球は丸いとどのようにして教えるかと長崎で吾が本木殿に問うた比ではない。
この「泰西輿地図説」(西洋の地誌概説書。巻一はヨーロッパ総論、巻二から十四は各国地誌、巻十五から十七は諸国地図、都市図)を読めば見れば、己の立っている地面、見える目の先はまっすぐにしか見えなくとも地球は丸いと分かるだろう。
序文は何と、萩野信敏殿だ。
蘭学階梯の序文が手元に届いた去年の年末だった。浜町内の小料理屋で改めて士業殿(伯元)に萩野殿を紹介してもらった。それまでに言葉を交わしたことが無かったが、(天真)楼の講義で何度かお顔を拝見している方だった。